あるこじのよしなしごと

妻・息子2人(2014生:小麦アレ持ち/2019生)と四人で暮らしています。ボードゲーム、読んだ漫画・本、観た映画・テレビ、育児、その他日常等について綴っています。

平成の終わりと令和の始まり

ざっくり言うと

平成が本日で終了する。昭和から平成に変わった時の記憶、平成での出来事、そしてこれから訪れる令和の過ごし方について。平成では自分のために過ごしてきたので、令和は相手のために過ごす事ができる時代にしたい。

こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。

本日で平成が終了するという事もあり、昭和から平成に変わったときのことや、これまでと今後についての気持ちを書き残しておこうと思いました。

昭和から平成に変わったとき

昭和から平成へと時代が変わったのは、1989年1月8日からです。私はあまり昔のことを記憶していなくて、小学校はおろか中学時代の記憶もあやふやという体たらくですが、昭和から平成に変わったときのことは不思議と記憶しています。

昭和天皇が崩御された、平成初日の前日である1月7日。この日、私は父や母と共に、父の会社の懇親会? のようなものに出ていました。まだ小学校低学年の頃だったため、どんなやり取りをしたかまでは覚えていませんが、他にも子どもが何人も来ていて、多分家族も参加するタイプのパーティだったんだと思います。

場所は普段行かないような広い中華料理屋さんでした。多分、何処かのホテルの中華料理屋で開催されたんだと思います。円卓をぐるぐる回そうとして、叱られたような気がします。

懇親会が終わって、家に帰り着いたのが夜9時頃だったかな。うちの家は帰宅するとまずテレビを点けるのが習慣で、その時間帯によってどの番組にするか適当に決めるのですが、夜9時頃は大体NHKのニュースと相場が決まっていて、まだ子どもだった自分はいつも、その事をひどく退屈に感じていました。

この日もテレビをNHKにしたのですが、そこで何処かいつもと雰囲気が違うのを感じました。いや、実際にはテレビ番組から直接それを感じ取ったのではなくて、それを見た両親から説明されたのかもしれません。

天皇陛下が死んだらしいとまで当時の自分が理解していたのかは分かりませんが、何か大きな事が起こったんだとその時に知りました。

この時、かなりうっすらした記憶なので私の勘違いかもしれませんが、テレビにはしばらく長い間、東京の夜景が映されていたような気がします。ひょっとしたら、黙祷を捧げるための時間だったのかもしれません……何処となく物悲しい雰囲気だったようにも感じていますが、昭和が終わった日だった、という事を後から知った自分自身によって、記憶が勝手に補正されているのかもしれません。

平成をどう過ごしたか

義務教育修了、高校・大学の入学卒業、就職、結婚、出産(と言っても、これは妻が頑張ってくれたんですが)、育児……と主要なライフイベントの殆どを私は平成のうちに経験してきました。

自分自身、特に利己的に過ごしてきたという訳でもないですが、それでも自分のために積み重ねてきたのが平成という時代における自分の過ごし方だったと改めて思いました。

令和をどう過ごすか

自分のために積み重ねて生きてきて、とりあえず食うには困らない程度の稼ぎは何とか得ることができるようになったのが平成という時代における自分の過ごし方でした。

令和は自分ではなく、妻や子供のために生きるのが、目標……というか、あるべき姿なのかなと思います。もちろん自分の楽しみ・やりたい事も大事なので、自分を棄てて相手に尽くすとか、そんな大袈裟な話ではないのですが、基本姿勢としては自分ではなくて自分の周りに尽くすという事になるのかなと。

もっとも、これまでだって妻と結婚したり、息子が生まれたりする度に同じような事は思っていたのですが、平成が終わり令和を迎える節目として、改めてそれを考えたという次第です。

まとめ

結局のところ、妻と息子が喜ぶということは自分の喜びでもあることを考えると、相手に尽くすということは巡り巡って自分のための行動でもあるとも言えるんですけどね。そういう意味では、自分が喜びを得られる方法が昔の自分に比べて多様化したのかなとも思います。

少し気の早い話かもしれませんが、多分これから歳を重ねるにつれて、自分一人で出来ることが減っていき、また自分個人で得られる喜びも減っていくのだと思います。その分、周りに対して出来ることが増え、また自分以外から得られる喜びも増えていくのでしょう。今はそうした過渡期にいるのかなと、この記事を書いていて思いました。

以上、平成の終わりと令和の始まりに関する記事でした。