あるこじのよしなしごと

妻・息子2人(2014生:小麦アレ持ち/2019生)と四人で暮らしています。ボードゲーム、読んだ漫画・本、観た映画・テレビ、育児、その他日常等について綴っています。

アニメ『プラスティック・メモリーズ』感想/「約束された別れ」が切なくも丁寧に描かれた物語

ざっくり言うと

ギフティアと呼ばれる、およそ9年4か月の寿命が設定されたアンドロイドをテーマとする物語。主人公のツカサは就職した先でアイラというギフティアと出会う。しかし、その出会いは別れへのカウントダウンが始まった瞬間でもあった。丁寧な描写に支えられた感動的な名作。

こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。

アニメ『プラスティック・メモリーズ』の感想に関する記事です。

概要

2015年4~6月に放送されたアニメーション作品です。原作・脚本は『シュタインズ・ゲート』や『ロボティクス・ノーツ』などの科学ADVシリーズを手掛けた林直孝。アニメーション制作は「動画工房」にて行われました。
なお、アニメ放映のタイミングと並行してコミカライズ版、また2016年にはノベライズ版およびPSVita版のゲームが発売されています。 

プラスティック・メモリーズ Say to good-bye (1) (電撃コミックスNEXT)

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プラスティック・メモリーズ ―Heartfelt Thanks― (電撃文庫)

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以下、Amazon Prim Videoに記載のあらすじを引用します。

現代より少し科学が進んだ世界。18歳の“水柿ツカサ”は、大学受験に失敗したものの、親のツテのおかげで世界的な大企業SAI社で働くことになった。

SAI社は、心を持った人型のアンドロイド、通称『ギフティア』を製造・管理する企業で、ツカサはその中でも、ターミナルサービスという部署に配属される。

だがそこは、寿命を迎えるギフティアを回収するのが業務という、いわゆる窓際部署。しかもツカサは、お茶汲み係をしているギフティアの少女“アイラ”とコンビを組んで仕事をすることになってしまう……。 

Amazon Prime Video プラスティック・メモリーズ

主人公の配属先についてターミナルサービスという言葉が出てきますが、これはいわゆる人間においてのターミナルケア(終末期医療)と掛かっているのですね。

ギフティアという存在にとっての終末期を看取る(回収する)業務を遂行する事から「ターミナルサービス」という名前が付いている訳です。

2019年8月現在では、Amazonプライムビデオで観る事ができます。

以下、感想を書いていきます。なお、感想について、記事の途中からは作品の詳細ネタバレを含む内容となっています(ネタバレ箇所に差し掛かる際には、注意喚起の記述を入れています)

感想

全体について(ほぼネタバレなし感想)

ギフティアであるメインヒロインのアイラ。彼女をはじめ、作中に登場する全てのギフティアには81920時間(約9年4ヶ月)という寿命があるということが本作の早い時点で示唆される事で、受け手はラストについてその時がどう訪れ、何が起きるのかを想像しながら視聴していく事になります。

作中の展開がコミカルで、微笑ましければ微笑ましいほど、やがて訪れると考えられる別れの瞬間が来なければよいと感じさせられてしまいます。

作中にはツカサとアイラを取り巻く様々なサブキャラクターが登場しますが、彼ら一人一人にフォーカスが当たる、いわゆる「個別回」のようなものはありませんでした。この事から、本作はあくまでツカサとアイラ二人の関係性を丁寧に描く事に何よりも重きを置いている事が読み取れます。

作中でツカサたちは何体ものギフティアの回収に訪れます。子供や孫、恋人、あるいは時に保護者の役割までを務めているギフティアに対し、当然ながらその所有者は形は違えど執着しており、それ故に別れを意味する「回収」を拒もうとします。

しかし、これはギフティアを運用する上で避け得ない仕組みとなっているため、その気持ちに折り合いをつけるか、あるいはターミナルサービスによって強引に引き裂かれるかして、所有者はギフティアとの縁を断ち切る事を余儀なくされます。

そこにツカサやアイラは、自分たちの仕事が「想い出を引き裂くこと」であると自覚させられることとなり、それに対する葛藤の様子が終始描かれています。

 

この「絶対に避け得ない別れ」は何もギフティアと所有者だけが迎える訳ではなく、現実世界の私達もギフティアよりも通常寿命が長いだけで、家族や友人に対して必ず別れを迎えるものです。あるいはもしかしたら、事故や病気などによって予期しない早さでその死が訪れる可能性だってあります。

だからこそ、この物語を観ていると、架空の話でありながら、現実の自分にもいつかは訪れるパートナーや子、親や友人らとの別れの瞬間をそこに重ね合わせてしまい、考えさせられます。

作中でアイラは、別れなければならない所有者とギフティアに対して、

好きな人と一緒に過ごすのが、一番嬉しいものなので。

と告げることで、共に時間を過ごす事の意義深さを伝えます。

時が来たら別れなければならない中で、「楽しかった想い出」を作ることは、後からそれを思い返した時の苦しみを増大させるのかもしれない。もし別れが避けられないなら、初めから想い出など作るべきではないのかもしれない。

そうした考えは登場人物らも当然持つのですが、紆余曲折の末にアイラが提案する「残された時間の中で共に過ごすことが大事」という意見は、人生を過ごす上で幾つもの避けられぬ別れを控える私たちにとっての一つの答であると感じさせられました。

 

以下、感想の内容に作品のラストまでの展開に関するネタバレが含まれています。ご了承下さい。

等身大で努力するツカサの姿

主人公のツカサは第1話でギフティア回収を行うお婆さん相手に無神経な対応をしたり、また第5話で少年ソウタに「マーシャを取り戻す」と断言してしまったり(と言っても、あの場面ではそう言うしかないかもしれないが……)と迂闊な部分が多く、そのためにミチルからは「学生気分が抜けていない」と度々叱責を受けています。

そんなツカサは物語の中で大きく成長したか? というと、正直そんな事はなく、多少仕事やギフティアという存在に慣れてきて落ち着いた部分はあるものの、ほとんど成長らしい成長は見られないと受け取りました(ちなみに自学してマニュアルを作る様子などは描かれますが、これは元々のツカサの性格や能力に由来するところであって、そこに大きな成長性は無かったと感じます)。

本作のストーリーはツカサが就職してからおよそ3ヶ月(アイラが出会ってすぐの残り寿命が2000時間=83日)だったので、そんな短期間に人間として急成長するというのは、およそ現実的な話ではないです。そのため、何もおかしな事ではありません。

だから、ツカサは作品の中で大きな成長はできていません。けれど、大事なのはそんなツカサがアイラに対して、今の自分で出来ることは何なのかを考え、試行錯誤を繰り返す姿勢にあり、そこが良かったと思いました。

人は必ずしも特別な成長を遂げなくても、人の役に立つことができる。共にある相手が何を望み、欲しているかを考えれば、それは自然に叶うのだというメッセージが、そこには込められている気がします。

というか、そうした相手を慮る行為ができるようになること自体が、そもそも人間としての成長の一つの形なのかもしれませんね。

ギフティアとの別れについて

2話の終わりの場面で、アイラの寿命が残り僅かの状態であることが明かされます。

というか、第1話の冒頭でツカサが漠然とではあるもののモノローグでその辺を示唆するような内容を語っているので、最終的に物語が収束するポイントは「別れ」であることを視聴者は自然と理解しています。

アイラの寿命が僅かであることを知ったツカサは、その運命に抗うことを考えますが、それらはいずれも不可能であることを普段の業務の中で知る事になっていきます。

  • 回収期間を過ぎてしまうと、ギフティアはワンダラーという制御不能状態に陥る可能性がある。
  • ワンダラーとなったギフティアとの別れは、いわゆる「回収」よりも更に大きな傷跡となる。【例:マーシャとソウタ/ミチルと父親】
  • ボディだけを残すことはできるが、記憶の継承は前例もなく、理論上もできないと考えられている。

 

この辺のワンダラー化や記憶継承不可という要素は、ギフティアであるアイラが回収される未来は避けられない、という事をツカサに納得させる上での舞台装置となっているのですね。

もっともツカサはこうした事実を知っていても、いざアイラの別れが迫ると

たまに、ふと考えちゃうことがあるんだ。このまま二人で遠くに逃げたらどうなるんだろうって。

というような事を口にしたりもします(12話)。

しかし、最終的にはツカサもアイラの「回収」を受け入れます。いや、最終的にではなく、実はツカサだってそれは初めから分かっていた筈なのです。

それは、普段の業務でツカサ・アイラが回収業を定期的に繰り返し行っているからです。

避け得ない約束された別れ。同じ悩みを抱える人が多く、そして先人はそれを断腸の思いで受け入れてきた。

1話で出てきたお婆さん、そして4話で出てきたソウタなど、できる事ならギフティアと別れたくなかったが、それでも規定に従って回収に同意する人々の姿を二人は何度も見ています。

当事者たちにとって「回収」は辛い別れだが、ツカサやアイラたちといったターミナルサービス課のメンバにとっては「回収」は日常的にこなすべき(こなさなければならない)事柄の一つであるのだということは繰り返し、示されているのです。

それなのに、自分たちだけがその運命から逃れようなどというのはできるはずもない。

アイラは早い段階でそれがわかっていますし、ツカサもやがてはその考えを受け入れます。

だからこそ、そこには奇跡も何も待ち受けてはおらず、他の所有者・ギフティアの関係と同じく、ツカサはアイラと別れなければならないのですね。

 

こうした流れは、今回のようなSFの設定だからこそ展開しやすいのだろうと私は感じました。

これが、人間における特異な病気がテーマによる死別で表現されていたとすると、ツカサやアイラが最終的に結末を受け入れるという構図はボヤけやすいでしょう。

ギフティアという人に作られしモノがテーマで、同じように別れなければならなかった人が多数いるという事実があること。この状況が、二人が最終的に理性的な選択を下すことに対する受け手の納得感をもたらすと考えます。

SFの設定については作り込みが甘い部分も

「SFの設定」というワードが出てきたのでこの場で触れておきますが、この作品を観ていて引っ掛かりを覚えるとしたら、設定の作り込みについてでしょう。

部分部分で、設定や世界観が、物語を成立させるために都合よく辻褄が合わされているというのは少し感じました。以下、具体的に幾つか触れます。

ギフティアが寿命を過ぎるとワンダラーになりうる点

ギフティアは絶対に回収しなければならないという背景にある設定ですが、ワンダラーが他者に危害を加えるような危険な存在にも関わらず、ギフティアに自動停止や位置特定のための装置が付いていない(人権問題が絡み、そうした機能は付けない法律となっている)というのはかなり無理があると感じました。

また、そこから発展して、ギフティアの回収についての理解が人々に得られていない点もやや不自然に感じました。

彼らが回収を拒む心情は理解できるものの、回収されなければワンダラーとなり、自身が殺されるかもしれません。しかし、回収を拒否する人の心理に、そうした危機感まで折り込まれているようには見えませんでした。

また、ターミナルサービスが来るまで回収の期限を把握しておらず、その事についての知識が無さそうに見える人もいました(2話:マックスの所有者はアイラのやり方が不味かったのもありますが、ターミナルサービスの存在をよく知らずに逃げ出していました)。

この点は、もしかしたらギフティアが回収されない場合に人間に危害を及ぼし得るということが世間に公表されていないのかとも思いました。ただ、それならそれで説明は欲しいところです。

闇回収屋の存在と目的

5話で出てきた闇回収屋の存在意義と目的もよくわかりませんでした。

暴徒化する直前のギフティアを手に入れて、一体何に利用するというのか? 

テロなどを起こす上での兵器として用いるのでしょうか?

しかし、制御する方法は無いので望んだ結果が得られるかは分かりません。また、実際にそうした事が起こっているなら、ギフティアが暴徒化することは世間一般の知るところとなっているはずで、社会問題化しているでしょう。

あるいは高価である(と思われる)ギフティアを奪い、自身でOSを入れ直して使用・売却する狙いがあるのでしょうか?

でもこれだと、運用終了直前のギフティアを攫うのは意味が分かりません。狙うならむしろ新品のはずで、やはりそこは理解が困難です。

物語の構造的には、彼らが存在する事でマーシャがソウタから引き離され、最終局面で「連れ戻す」と約束したツカサ自身がワンダラーとして暴れるマーシャを介錯しなければならないという悲劇が演出されます。

こうしてみると、闇回収屋のエピソードはツカサが「ギフティアは時が来たら回収されなければならない」という事実を、ミチルから話に聞くだけでなく自身において経験で実感するためだけに存在したイベントとしか考えられず、その脚本における背景の作り込みについての手の回らなさが印象付けられます。

 

設定の深掘りが足りない点については私もその通りだと思う一方で、それでもこの作品は良い作品だったと思います。

それは結局のところ、この作品が描きたかった本筋の部分はツカサとアイラの出会い過ごした日々、そして別れの部分にあると考えたためです。

そのため、こうした設定が気になるとリアリティが薄れてしまい、純粋に楽しめなかったという方もいたかもしれませんが、私個人は設定の不備によって作品全体に対するネガティブな感情を抱くまでには至らなかったです。

徐々に打ち解けていくアイラの可愛らしさと切なさ

本作の大きな魅力の一つは、やはりアイラの可愛らしさです。アイラというキャラクターに何処まで魅力を感じられるかで、この作品に対する評価は大きく変わると感じます。

  • 回収を要領良くこなす事ができず、それでも最良の別れを模索して努力するアイラ。
  • お茶を愛し、ツカサのために茶葉を買ってきて自室で淹れるアイラ。
  • 身体能力の強化は望めないと半ば知りながら、それでも諦めずに訓練に励むアイラ。
  • ツカサとの別れを予期し、最初は共に過ごす事を拒むものの、最終的には「今の想い出」を作るべきと考えを改め、ツカサに心を開いていくアイラ。

 

彼女が魅力的な部分はいくつもありましたが、最終回に絞って話を書くと、観覧車の中での別れの直前、涙を堪えきれないツカサの顔を触り、無理やりに笑顔を作ろうとする場面がとても印象的でした。

この、顔を触って無理矢理笑顔を作るというのは元々、アイラが上手く笑う事が出来なかったときに訓練でやっていた行為です(4話「うまく笑えなくて」でザックにキモいと言われていたアレ)。

しかし、アイラはツカサと接する中で愛情を注がれ、無理やり顔を触って笑顔を作ることなどしなくても、自然に笑うことができるようになっている様子が描かれます。

最後のお別れの瞬間に、自然な笑みを湛えながらツカサの顔を触るアイラの姿は、彼によってもたらされた「笑顔」を彼自身にある種お返ししているようで、そこがまた感動的でした。

理性的に描かれる「約束された別れ」へと向かう日々

各種の感想をみると、最後の場面で何らかの奇跡や、抜け道を模索する事によって、アイラの寿命が延びる、あるいは記憶を持ち越したアイラとツカサが再会するなどのハッピーエンドを期待した人もいたようです。

しかし、この作品に限ってだけはその展開は無いだろうと私は思いました。

彼らが何らかの手段でアイラの回収を実質的に回避するというのは、展開としての面白さは確かにありますが、その展開をやってしまうとツカサとアイラが心血を注いできた仕事は何だったのかという話になってきます。

それがもし出来るなら、他のギフティアを利用する人々だって、同じことをしたかったに違いありません。これはツカサとアイラ自身が一番分かっている事なのでしょう。

アイラがツカサからの告白を受けて、まず距離を取ろうと考えたのは彼と別れる未来が絶対に避け得ないと思ったからです。

ツカサは最初の内こそ発作的に何らかの案が無いかを模索しますし、アイラとの別れを受け入れ難いものとして苦悩しますが、最終的には回収を受け入れます。

最後の最後、別れの瞬間こそ、どうしても感情が溢れてしまったツカサでしたが、それまではアイラが何を思い、何をしたいかを尊重して、デートをしたり、部屋の大掃除をしたり、普段通りに仕事をこなしたりといった、極めて理性的な行動を取る様子が描かれます。

この理性的なツカサの行動からは、彼の精一杯の努力、悲しみを堪えようとする気持ちが伝わってきて、そこに強く尊さを感じずにはいられませんでした。

 

最後のアイラの「回収」は観覧車の中で行われます。遊園地の開園中、止まる事なく回り続ける観覧車はおそらく輪廻や生まれ変わりの暗示でしょう。しかし、アイラは生まれ変わる事は無く、造られた生にここで終わりを告げる事となります。

この対比関係は極めて象徴的です。この作品ではオープニングムービーから作中まで終始、観覧車がよく登場していますが、それは単にラストシーンが観覧車の中だからというだけではなく、やがて訪れるギフティアの回収という運命と、観覧車が抱かせる輪廻のイメージの対比としての構成要素なのだと解釈しています。

美しくも示唆的なオープニング・ムービー

語る順番としては逆なのかもしれませんが、オープニングのムービーについても語ってみます。

各話でアイラがツカサとの結び付きが強くなる中でラストカットの表情が変化する(明るくなっていく)のは芸が細かいと思いました。

また、その寿命からアイラがツカサとは決して過ごすことのできない、冬の遊園地で白い息を吐く姿が描かれている点には、哀切の感情を抱かずにはいられませんでした(あるいは、カヅキとパートナーを組んでいた頃の描写なのでしょうか? 多分違うと思いますが……)

その後に登場する、並べられた観葉植物の傍らで愁いを帯びた表情をするツカサのカット。これはアイラが既に回収された後、残された彼の様子を映しているのだと解釈しています。彼は観葉植物の横に立ち、それらに水をあげていたアイラのことを胸中で思い返しているのでしょう。

そして、夜に光り輝く観覧車。このイメージについては、もう上で述べたので説明を割愛します。

 

ところで、このオープニングを見ている中で一つ想像していたのが、ツカサはひょっとしてギフティアなのか? という考えでした。2話まで見終えて、3話目のオープニングを見た時だったでしょうか。

そう考えたきっかけはオープニングの映像の最初、アイラがこちらを振り返る姿を背景に、無数の人々が歩いている場面にあります。

この場面では1話で回収された女の子や、2話で回収されたマックス、そしてアイラなど、現れているのが全員ギフティアなのです。

ここで画面に向かって右から二番目のポジションで、スーツを着た男性が後ろ向きに歩いている様子が描かれているのですが、このスーツ姿で歩く彼の見た目が1話でSAI社に初出社する時のツカサの容姿にぴたり当てはまるように見えたんですよね。この事から、実はツカサもギフティアなんじゃないかと考えてました。

結局、ツカサは普通の人間だったので、この予想は全くの外れでした(笑)

この想像をしているときは、ツカサがギフティアだとすると、対比されるアイラが実は人間というオチなのでは? などと小難しく考えていましたが、途中でこの考えは捨てました。

理由はアイラが水中でのトレーニングを繰り返す中で、その息継ぎが明らかに人間ではもたないレベルであり、どう考えてもアンドロイド(ギフティア)であるとしか思えなかった為です。

もちろん、アイラがギフティアであってもツカサが人間である事の直接の証明にはならないのですが、この物語はギフティアと人間の別れの物語と直観的に感じていたため、アイラがギフティアならやはりツカサは人間なのだろうと考えを修正しました。

ラストシーンでツカサが手を取った相手は?

アイラとの別れの後に描かれる、ツカサが長い研修から戻ってきて、新しいギフティアの手を取るシーン。

ここは意図的にそのギフティアの外見が隠されていますが、果たしてこれはアイラの姿だったのか、そうではないのか?

この場面は、その容姿を受け手に想像を委ねるために敢えて描かれなかったという事なのだと思いますが、個人的な解釈としてはツカサにとってはその見た目はどちらでも良いという事をあるいは示唆しているのかなと思いました。

ツカサはラストシーンの導入部で、

もし、自分の命の時間があらかじめ決まっていたとしたら。俺ならどう受け止めるだろう。

俺は、その限られた時間を精一杯生きようって思う。

という思いを独白します。

これは作品の冒頭でツカサがモノローグしていた問いに対して、アイラの生き様を受けて、ツカサが導き出した答であり、彼の新しい目標・人生観です。

そしてこれは同時に、この作品の受け手に対して制作側が伝えたかった主要なメッセージの一つでもあるのでしょう。

ツカサは感傷に浸ってばかりいるのではなく、今自分が生きている内に、できる事を全力でやることが大事で、自分がそうすることがまたアイラと過ごした日々の記憶をより輝かせる事に繋がっているのだと考えているでしょう。

そんな彼がターミナルサービスとして復帰したとして、パートナーとなるギフティアの姿がアイラであっても、そうでなくても、やるべき事は変わらない筈です。

だから、ツカサにとっての新しいパートナーの姿は描かれませんでしたが、仮にそれがアイラの姿であろうとなかろうと、彼は変わらずにこれからを生きていけると思うのです。

 

その事はさておいて、実際にその姿がどうだったかについて考察すると……おそらくはアイラとは異なる容姿のギフティアであると想像します。

そう考えた理由は二つあります。

一つは、新しいギフティアと握手を交わすツカサに動揺の色が全く見られなかったことです。さすがにアイラと同じ容姿のギフティアが不意に現れたとしたら、ツカサがその瞬間、全くのノーリアクションでいられるとは考えにくいです。

もう一つは周囲のツカサに対する配慮からの推察です。

作中では8話において、エルがかつての友人オリビアと同一の容姿で別人格のアンディを見て動揺する姿が描かれていましたが、こうした心の動きは誰にとっても当てはまることの筈です。

だとすると素直に考えて、ツカサにアイラと同じ見た目で記憶・人格が異なるギフティアを敢えて組ませるという、残酷な行為を課長やカヅキが行うとは考えにくいです。

これらの理由から、ツカサの新しいパートナーはアイラとは異なる個体と考えます。

まとめ

本作はギフティアという架空の設定を通じて、限りある時間の中で人はどう生きるべきかという事を考えさせられる、強いメッセージ性を持った物語でした。

今自分がこの世に生を受けて過ごしている時間の中で、可能な限り精一杯生きること、そして大切な人と共に過ごすことの大切さが、未熟なツカサと可愛らしいアイラの二人が切なくも懸命に生きようとする姿を通じて、熱を持って語られています。

設定に関する作り込みの不足や、またラストの展開に派手さが無い点などから、この作品を凡作と評する声も多いようです。

しかし私は、設定に関する突っ込みがある点は理解できる一方で、ラストについてはそれまでの展開からして、この終わり方以外にあり得ないだろうという感想を持ちました。

結論としてはツカサとアイラ、二人の出会いから別れに至る一連の流れがとても丁寧に描写された名作だと思いました。

以上、アニメ『プラスティック・メモリーズ』の感想でした。