主人公の南森ゆきは天王寺ユリアにボードゲームで打ち勝とうとする中で、単なる勝敗という枠を越えたボードゲームの楽しさについて朧げに考え始める。主に登場したゲームは『ソレニア』『ねことねずみの大レース』。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『天王寺さんはボドゲがしたい』3巻の感想です。感想を述べる中で、あらすじや作中の展開に多少言及しています。
どんな漫画?
作者はmononofu(もののふ)さん。竹書房の雑誌「キスカ」で連載されています。
作品概要については本作品1巻の紹介文面を引用します。
クールで無口、容姿端麗、運動神経抜群、成績優秀……誰もが気になるミステリアスな帰国子女、天王寺ユリア。
そんな彼女を一方的にライバル視する南森ゆきは、ある日、 ユリアの本当の(?)姿を目撃!
ゲームをしながら一喜一憂するユリアの姿に、 ゆきは「ボードゲームの不思議な世界」へと惹かれていく――。
タイトルに含まれているボドゲとはボードゲームの略語であり、その名の通りボードゲームをテーマにした漫画です。
1巻・2巻の感想についても書いています。よろしければ、下記記事をご覧下さい。
以下、3巻で登場するボードゲームの紹介と、読み終えての感想となります。
3巻で主に登場したボードゲーム
ソレニア
2巻に引き続き、登場しているのが『ソレニア』です。2巻で天王寺さんが書店で購入したゲームですね。
昼夜の周期が崩れた世界の住人たちに飛行船で物資を届けるという、非常に幻想的な雰囲気のゲームです。
テーマ性やそのコンポーネント(ボードゲームで用いられる駒やタイル類)の美しさに定評のあるゲームですが、それでいてきちんとゲーム内容も面白いと評判ですね。
日本語版を販売しているホビージャパンにおける説明ページに以下、リンクを張っておきます。
3巻では天王寺さんが買ったゲームを天王寺・南森・堺(ボードゲーム部の先輩)の三人で遊ぶことになります。
2巻の感想を書いた際には、チラッと出てきただけで深くは取り上げられないのかな……と思っていましたが、3巻ではがっつり遊んでいる様子が描かれていました!
『ソレニア』というゲームの目的を簡単に言ってしまうと、プレイヤーは各種の資源を集め、それを街に納品するというおつかいになります。
ボードゲーマー風に少し格好良く言うと、ピックアンドデリバリー(Pick-up and Deliver)というメカニクスですね。
プレイヤーが資源を手に入れるため、また都市に納品するためにはカードを出す必要があります。そのカードの入手においては山札からの引き運が重要ですから、将棋やチェスのように判断力だけで勝負は決まらず、プレイヤーの運も大事なゲームです。
手札には数字が書かれており、0のカードだと資源の獲得も納品もできません。
しかし、0のカードを出した時にはボード上の一部世界の位置関係および昼夜が変わるというギミックがあります。
これはロマン溢れる設定ですし、またそれでいてゲーム的にも一筋縄ではいかない仕組みになっていますね!
このゲームは天王寺さんも初めて遊ぶという事もあって、これなら自分も勝てそう! と南森さんは色めき立ちます。
果たして、勝つのは誰なのでしょうか?
ねことねずみの大レース
3巻でもう一つ出てくるゲームが『ねことねずみの大レース』です。天王寺さんが何度も遊んでいるゲームとして、南森さんたちと遊びます。
プレイヤーはネズミのコマをサイコロで進め、チーズの獲得を目指します。沢山チーズを獲得した人が勝ち。シンプルです。
より多くのチーズを手に入れるには先へ先へと進む必要がありますが、欲張って進むと追いかけてくるネコの餌食(0点)になってしまいます。
かといって、あまり慎重になり過ぎても点数が伸びません。この辺のさじ加減を考えるのと、ネコが追ってくるスリルが楽しいゲームです!
説明でも書かれていますが、こちらはほぼダイス運が勝敗を分けるゲームと言ってよいですね。多少は判断する要素もありますが、概ねハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンのどちらを行くかという二択に収束するため、最終的にはダイス運が重要なゲームといえます。
先程挙げた『ソレニア』のプレイ年齢(楽しめる年齢)が10歳から推奨なのに対し、『ねことねずみの大レース』は4歳から遊べるゲームと製作元で設定されていることからも、このゲームが運によって左右されるものであることが分かります。
そのダイスに翻弄される展開はコミカルで楽しいものの、いわゆる「運ゲー」に分類されるこのゲームを何故、天王寺さんがやり込むのか? ということについて南森さんは不思議に思うのでした。果たして、その理由とは?
感想
ボードゲームで勝つことと楽しむことの関係性
3巻では南森さんが天王寺ユリアと遊ぶ中で、一つの葛藤というか、疑問を抱きます。
それはボードゲームにおける勝ち負けと楽しむことの関係性です。
ボードゲーマーに限らず、対人でプレイするものには必ず存在する二項対立が、「ガチ」と「エンジョイ」と呼ばれる概念のせめぎあいだと私は思います。
この辺は語る人が語れば幾らでも語れる内容だと思いますが、語弊を恐れずに簡潔にしてしまうと……ガチは勝つことを何より大事であると考えますし、エンジョイは楽しむことが何より大事であるという考えです。
これについては、月並みな考えですが、個人的にはどちらが大事というのではなく、どちらも大事なのだろうと私は思います。
ガチの考えが堅苦しいという意見もありますが、基本的にゲームは勝利を目指すのが大前提ですから、勝ちを目指さないという考えは個人的には無いです。
舐めプレイ、忖度・手加減プレイ、個人戦で誰かを勝たせるためにアシストに徹するプレイなどをされたら、同卓している人はつまらないですよね。
勝ちを目指すことは、楽しむことと密接な関わりを持つと思っています。
一方で、勝ちだけに拘るのもあまり良い結果を生まないです。
負けそうになったら早々に諦める、不貞腐れる、勝者へのリスペクトを欠く、また言語道断ですがイカサマをする……など、勝利至上主義が行きすぎると、こうした形で表れてしまう事もあります。
もっとも、大半のボードゲーマーの方はこの辺のバランス感覚を持っていて、勝ちを目指しつつ楽しむことができると思いますが……ともかく、こうした観点で南森さんは考えを巡らせます。
それに対して、天王寺さんは一つの考えを持っていました。
それが、楽しんだものこそが勝ちであるというスタンスでした。
これは本当にそうだなと思います。上で述べてきたことに対するロジカルな答にはなっていないのかもしれませんが、直観的に賛同できる言葉でした。
世界的に大ヒットしたボードゲーム『カタンの開拓者たち』を作成したゲームデザイナーであるクラウス・トイバー氏は以下のような発言をしています。
「また明日、あなたと遊びたい」と言われるようなプレイをしましょう。
ゲームで楽しんだものこそが勝者。
だとしたら、相手を楽しませることで、また遊びたいと言ってもらえるプレイができたものも同じく勝者なのだろう。
そんなことをこの巻を読み終えて、ふと思ったのでした。
以上、『天王寺さんはボドゲがしたい』3巻の感想でした。
§ 本記事で掲載している画像はmononofu/『天王寺さんはボドゲがしたい』より引用しています。
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