あるこじのよしなしごと

妻・息子2人(2014生:小麦アレ持ち/2019生)と四人で暮らしています。ボードゲーム、読んだ漫画・本、観た映画・テレビ、育児、その他日常等について綴っています。

漫画『愛と呪い』1〜2巻の感想/特別にも普通にもなれなかった少女の物語

ざっくり言うと

主人公の愛子は家庭における性的虐待や体罰、また周囲との宗教観の違いなどから次第に孤立していく。普通にも特別にもなれない自分に絶望しつつも生き続ける愛子の姿が悲痛に描かれた、漫画家・ふみふみこさんの半自伝的作品。

こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。

漫画『愛と呪い』の1〜2巻を読んでの感想です。感想を述べる中で、あらすじや作中の展開に多少言及していますが。内容の詳細までは記載していません。

どんな漫画?

『愛と呪い』はふみふみこさんにて、新潮社の雑誌「yom yom」で連載されている漫画作品です。

作品概要については、本作品1巻の紹介文面を引用します。

物心ついた頃には始まっていた父親からの性的虐待、宗教にのめり込む家族たち。愛子は自分も、自分が生きるこの世界も、誰かに殺して欲しかった。阪神淡路大震災、オウム真理教、酒鬼薔薇事件……時代は終末の予感に満ちてもいた。「ここではないどこか」を想像できず、暴力的な生きにくさと一人で向き合うしかなかった地方の町で、少女はどう生き延びたのか。『ぼくらのへんたい』の著者が綴る、半自伝的90年代クロニクル。

上で『ぼくらのへんたい』という作品名が出ていますが、ふみふみこさんの作品ではこれが一番有名でしょうか。

私自身はLINE漫画で読んだqtμt(キューティーミューティー)』という作品の作画担当として、はじめてふみふみこさんを知りました。

qtμt キューティーミューティー 1巻 (LINEコミックス)

qtμt キューティーミューティー 1巻 (LINEコミックス)

 

上記作品を読んでいた際に、ふみふみこさんが原作も共に手掛けている『愛と呪い』1巻が発刊された事を知ったことが、本作を読んだきっかけとなります。先日、2巻も続いて発刊され、そちらを読み終えたので感想を書いてみようと思いました。

感想

「一見 問題など なにひとつないような家族」

作品説明の中でも出てきますが、主人公の山田愛子は小さい頃、父親から性的虐待を受けています。そして、母親含め家族の誰もそれを特に重大視せず、「またやってるよ」程度にしか扱っていませんでした。成長するにつれ愛子はその事の異質さに気付くようになり、それを拒むようになります。

同居する母親や祖母は自身が入信している問道教という宗教(作中での架空の宗教)に傾倒し、お祈りを欠かさないよう愛子に事あるごとに説き、従わない場合には体罰を与えていました。これも愛子が小さい頃は素直に信仰していましたが、徐々に問道教自体について懐疑的になっていきます。

驚くべきは作品紹介でも書かれていた通り、この作品がふみふみこさんの「半自伝」であるという事実。家族とは何なのか、愛情とは何なのか、という事を考えさせられる作品です。

見出しの台詞は愛子が2巻において、心の中で独白するものです。また、これと共に

一部の問題をのぞけば 一般的で明るく善良な家庭だった。

金銭的に困ることなく愛情をたくさん与えられ 育てられた。

といった内容のことも語っています。確かに衣食住という意味では足りていたのかもしれません。

養育面でのネグレクトに関する件でふと思い出したのは、漫画『岡崎に捧ぐ』に登場する岡崎家のことでした。

岡崎家はお母さんが自由奔放な事から、ふらっと居なくなったり、ご飯がテキトーな物だったり、学校で必要なものの準備を岡崎さん自身がやらなければならなかったりと、軽度のネグレクト状態だった様子が描かれていました。小さい頃の岡崎さんは何かと苦労した事でしょう。

ただ、岡崎さんに対してはその様子に悲痛さを感じることがさほどありませんでした。他方、愛子は衣食住が満たされていながら、大変な悲痛さを感じました。この感覚の差は一体どこから生まれるのか。これについては、岡崎さんと愛子のおかれた環境が大きく二つの点で異なるためだと思いました。

親からの愛情の与えられ方の違い

岡崎母は超放任主義なだけであって、家や子どもの事を疎かにするものの、自分の都合のためにコントロールするような事はしていませんでした。山本さんと岡崎さんが生まれて初めてのアルバイトをしようとするときにも

「自分の人生一度きりだし〜(略)色々な経験をすることね〜」

といった肯定的なアドバイスをして、(自分にとっても都合の良い面があるというのもあるかもしれませんが)岡崎さんを後押ししていました。

一方の愛子はというと、これまた親に愛されていなかった訳ではありません。おそらく世間一般からすれば、(性的虐待などの様子は外からは窺い知れないですから)むしろ岡崎家よりも「常識的」で好ましい一家とすら見えるかもしれません。しかし、その愛情の注がれ方は愛子の衣食住を満たすまではよいですが、それ以外は「有り難い教えを共有する」というある種の洗脳に近いです。祖母・両親からすれば心底本人のためを思っての事なのでしょうが、結果としては自分の都合の良いようにコントロールしている訳です。そこに愛子の意志は介在していないのです。

周囲に理解者がいたかどうか

岡崎さんの場合は、何よりいつもそばに山本さんがいて、一人ではなかった。山本さんという存在にかなり救われている面があるように感じました(ちなみに山本さんも、過保護気味だった自身の親からの一時避難として岡崎家の存在には大分救われたように思えるので、一方的に岡崎さんが寄り掛かっていたという話でもありません)。

しかし、愛子は小学校の頃には親友となる存在はいませんでした。通わされた学校が家から遠く、通学に2時間掛かるため、友人と遊んで帰ると遅くなってしまうためです。誘惑に負けて遊んだ場合は、帰りが遅いことで体罰を受けました。この環境で友人関係を構築するのは困難でしょう。

中学校からは問道教系のスクールに行かされるもその教義に懐疑的だった事、そして世間で発生する神戸連続児童殺傷事件の影響などが重なり、周囲から完全に孤立します。

家庭では虐待され、そこから反撃しようにも普段の穏やかな家庭を壊すことについては厭う気持ちが生じ、その苦しみを共有する相手もいない。誰にも理解してもらえない。相当、辛い環境だったと思います。

低い自己肯定感がもたらすもの

高校に入った愛子は、過去に父親によって性的虐待された事実を上書きしたい気持ちと、また自暴自棄だった気持ちも重なり、更には屈折した"世間に認められたい"という気持ちもあって、援助交際を行うようになります。

はたからみれば、元々辛い境遇なのに、何故そんな自分から更に不幸になりに行くような真似をするのか?と思ってしまいそうです。ただ、私個人がこれまでに出会った人とのやり取りからの意見になりますが、育った環境が過酷だった人ほど不思議と単純に幸せになる道を上手く歩めず、複雑に考えてしまう癖があるように感じます。親との関係が不和で、成長の過程で自己肯定感を上手く得られなかった友人がそういうタイプでした。

その友人(以降、Aと呼称します)は、性的虐待までは受けていないものの親との関係が不和で、幼い頃から頭ごなしに怒られるような経験を積み重ねて育ってきました。私はAと出会うまでは、多少のすれ違いは生じたりするものの、親は基本的に子のことをきちんと考えているもので、だから子の方も多少親が疎ましい時期はあるにせよ、最終的には親を尊重して家族仲良く一つで暮らすべきだという意見を持っていました。そして、その意見をAと会った際に話したり、また親との和解を勧めたりもしました。

今では、それがまったくのお花畑思考だったなと感じます。Aの親とたまたま接する機会ができたとき、たとえ親であっても分かり合えない人間というものはいるのだという事を初めて知りました。今風に言えば、毒親というやつでしょうか。その親の場合はAのことを考えていない訳ではないようでしたが、それ以上に自分本位でした。Aに対する物言いも親の都合で変わるため一貫しておらず、結果として判断基準が常に変わりながら話をしてくるんですね。私は大人になってから接したため、意見の矛盾や整合が取れていない箇所が分かります。だから、納得のいかない所は適当に無視してあしらえばよいと理解できるのですが、小さい頃から親と接してきたAはどうしても、そうしたあしらい方ができないんですよね。既に親の理不尽な言動に振り回される事が身体に染み付いてしまっていて、第三者からみるとおかしいと思える裁定も、Aにとってはどうしても聞くべき意見・守るべきルールと捉えられてしまうようでした。

Aはそうした経緯もあったためか自己肯定感が低く、その姿は本作の愛子と重なって見えました。自分に価値が無いと思うから、自分を大切にできないんですね。私から見れば、Aはむしろ頭が良いタイプの人間にみえていたので、そうしたコンプレックスを持っているというのは正直、意外でした。

愛子が同級生の男子に対して

おかしなるしかできへんねん

あんたはええなあ

自分を大事にできて

と伝える場面がありました。愛子のこうした「自分のことを大切にできない気持ち」について、私には実感をもって理解できるとは言えないのですが、Aであれば共感できるのかもしれない……そんな風に思いました。

普通にも特別にもなれない苦しみ

愛子は他の同級生と同じく普通の存在になれなかったことを悲しみます。何も特別な事を望んだ訳ではなく、普通の親、普通の家族、それを望んだだけなのに。

一方で、世間を揺るがすサイコパスや「キレる若者」のように、自身が普通の存在になる事を阻害した父親を殺害して「特別な存在」になる事も出来ませんでした。

こうして、普通の存在にも特別な存在にもなれなかったことに愛子が強い閉塞感を感じる中で2巻は終わります。

ただ救いがあるとすれば、作中で30代を迎えた愛子が

あれから20年

あの時の自分がいかに子どもじみたものだったか

今となってはもう笑い話

と心の中で独白しているシーンがあることです。今でも「くすぶり続ける怒り」「救われなかった悲しみ」を抱えているとも作中では書かれていましたが、そうした思いを昇華させるための通過儀礼としての意味合いが、本作の執筆・発表には込められているのだと、ふみふみこさんのインタビューや対談の中で明かされていました。

参考までに、私が読んだインタビューおよび対談の記事へのリンクを以下に張っておきます。

インタビューおよび対談記事

死にたいとすら思ったあの頃。宗教は私を救ってはくれなかった……『愛と呪い』ふみふみこインタビュー【前編】 | ダ・ヴィンチニュース

「すべてがぶっ壊れればいいのに」とにかく生きづらかった10代――『愛と呪い』ふみふみこインタビュー【後編】 | ダ・ヴィンチニュース

〈特別対談〉ふみふみこ×浅野いにお――あの頃、私たちはひとりぼっちだった | 対談・鼎談 | Book Bang -ブックバン-

特別対談 押見修造✖️ふみふみこ 「未来はない」と諦めた日から生きること - 編集部ブログ | くらげバンチ

まとめ

本作は家庭と学校、どちらでも理解者を得られずに苦しんだ山田愛子について、その悲痛さとそれでも生き続ける姿を描いた作品です。

普通にも特別にもなれずに苦しむ愛子の未来は、猟奇的な事件が起きるなど正に世紀末であった1990年代の閉塞感と相まって、暗く閉ざされているようにみえます。

本作は3巻で完結すると決めていると、上述のふみふみこさんへのインタビュー記事には書かれていました。次巻、どのような形で本作が完結するのか、楽しみです。1巻・2巻共に、表紙の愛子は作中で見られる泣き顔をベースにしたものでした。愛子にとって、安寧の時が簡単に訪れるとは想像が難しいですが、願わくは3巻、少なくとも今よりも幸せに近付いた愛子の姿が描かれるような事があれば……と思います。

以上、『愛と呪い』1〜2巻の感想でした。

【追記】3巻の感想を書きました

3巻を読み終えての感想も書きました。以下が記事へのリンクとなります。

 

愛と呪い 1 (BUNCH COMICS)

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愛と呪い 2巻: バンチコミックス

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[まとめ買い] 愛と呪い

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