主人公の愛子は鬱病を患う。無気力。普通にならなくてはならないという焦燥感。恋愛と結婚。かつて助けてくれなかった母への怒り。そして悲しみ。様々な経験や思考を経て、愛子は一つの折り合いの地点へ到達する。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『愛と呪い』の3巻を読んでの感想です。感想を述べる中であらすじや作中の展開に言及していますので、未読の方はご注意下さい。
どんな漫画?
『愛と呪い』はふみふみこさんにて、新潮社の雑誌「yom yom」で連載されていた漫画作品です。
作品概要については、本作品1巻の紹介文面を引用します。
物心ついた頃には始まっていた父親からの性的虐待、宗教にのめり込む家族たち。愛子は自分も、自分が生きるこの世界も、誰かに殺して欲しかった。阪神淡路大震災、オウム真理教、酒鬼薔薇事件……時代は終末の予感に満ちてもいた。「ここではないどこか」を想像できず、暴力的な生きにくさと一人で向き合うしかなかった地方の町で、少女はどう生き延びたのか。『ぼくらのへんたい』の著者が綴る、半自伝的90年代クロニクル。
1〜2巻については過去に自身が挙げた感想記事がありますので、そちらへのリンクを以下に載せておきます。興味がありましたら、お読み頂ければ幸いです。
本作品はこの3巻で完結となります。以下、3巻の感想を書いていきます。
感想
鬱病を患う愛子
1〜2巻で描かれた、父からの虐待、周囲からの孤立、正常な関係を築けるパートナーと出会えなかったこと、そして父を殺害する事も叶わなかったこと。
何が主要因だったのかまでは限定できませんが、3巻は愛子が鬱病を患っているところから始まります。
愛子が鬱病を患ってからの描写がまたリアルなのです。この作品は半自伝的内容と言われているので、当たり前といえば当たり前なのですが……。
部屋を片付ける気力が湧かない。身体を清潔に保つ気力が湧かない。ストレスから逃れる為に過食に走る。「普通」でなければならないと努力して取り繕う。性的に関係を待つことで相手を繋ぎ留めようと考える。自身と交際するパートナーを不幸だと思い、また申し訳なさを感じる。元凶である親に対して憎しみを抱く。
1〜2巻で感想を書いた際に話に挙げた、親との関係が上手くいかなかった友人もほぼ同じ行動を取っていました。
愛子と違うのは、彼女は下戸なのでお酒で意識が飛ぶ事は無かったのと、父から性的虐待を受けた訳では無い(父は小さい頃に離婚済で関係不和の相手は母親だった)点でしょうか。
でも、それ以外の行動・性質は本当によく似ています。
もっとも、私と出会って話す時点で彼女の症状は大分緩和されていたので、それらは気分が落ち込んだ時にちょっと再発するという感じでしたが。
「自分がこうしなければならないと思っているのに対し、身体が思うように動かず、そう出来ないことが尚更辛い」。彼女はよく、そう語っていました。真面目に考えてしまう人ほど鬱になりやすいというのはこういう事か、と得心がいったのを覚えています。
ともあれ、愛子は鬱となり、その事がより一層彼女を「普通」から遠ざける事になります。
愛子は日記に
私の望みは朝起きて、朝ごはん食べて、出勤して、働いて、昼ごはん食べて、働いて、帰って、夜ごはん食べて、少しダラダラして、風呂入って寝ること。
すごく当たり前のことができるようになること。
と書き連ねます。彼女の苦しみ、そして今の自分を何とか「普通」にしたいという気持ちが、痛いほど伝わってくる文面でした。
恋愛と結婚生活
愛子は「普通」を望む中で、やがてある男性と交際する事になり、そして結婚します。
しかし、不幸だったのは愛子が自身の生い立ちやその背景……つまり、宗教絡みで家族や学校と対立し、父から性的虐待を受け、母から守ってもらえなかったなどの自身の苦しみをパートナーである彼に言えなかった点です。
結婚した男性は普通の家族に生まれ、ごく普通に育てられた"良い人"でした。
そのため、家族との繋がりは大事にするべきであると信じていますし、また親に対する子の反発は単なる我儘や反抗期としか感じられません。
それはある意味で正しいのかもしれませんが、愛子にとってはその「正論」をぶつけられるのが辛かった。何故なら、彼女の家は普通ではなかったからです。
この男性の気持ちですが、実は私も分かるのです。上で挙げた親と上手くいかなかった彼女にも、私は同じ様に、母親といがみ合っていないで仲良くすべきだと話したことが一度ありました。
ただ、彼女の母と出会い、接することで、家族であっても共にいるべきではない関係もあるのだと知りました。
それからは彼女に、家族で仲良くするのが正しいなどといった絵空事は語らないようになりました。親とどう関わっていくのが良いかは環境によって変容する。その当たり前の事実に気付いたからです。
それだけに、もし愛子が結婚した男性に全てを伝えられていたらどうなっていたんだろうか? と思わずにはいられませんでした。
ただ、もし愛子が全てを伝えていたとしても、家族との関係に対する苦しみや、「普通」を求められるのが辛いという気持ちを彼が理解できたかまでは分かりません。
伝えても理解されないのが一番辛いでしょうから、愛子は話せなかったのでしょうか。
その点で2巻を振り返ってみると、かつて交際していた田中には自身に起きた事やその時の気持ちなどを全て伝えていたんですよね。
これはおそらく、田中が"良い人"ではないが故に、逆にそうした異常な父親の存在をありうる話だと受け止められるだろうと愛子が考えたからだと思います。
しかし、田中は愛子を冷たく突き放した。
この経験が愛子の、人に理解してもらおうとする気持ちへの諦めという結果になったのだとしたら、ただただ悲しいです。
愛子が苦しんでいる中で、彼女が出会った相手が少しでも違ったなら。今更ながら、そう思わずにはいられませんでした。
母への怒りと悲しみ、そして
3巻では、愛子と母との関係が深く描かれています。
この巻、そしてこの作品における最も重要なポイントが、この愛子と母の関係に対する咀嚼であると感じました。
以下、少し整理してみていきます。
母の告白
この巻を読んだ方の多くが衝撃を受けたのは、愛子の母の
お父さんのことあったけど、あんたがそういうことできてほんまによかったわ。
できへんようになる人もおるって聞いたから、心配しててん。
という台詞ではないでしょうか。
私は衝撃を受けました。父が愛子にしていた行為を母は性的虐待と認識しており、それでも止めなかったのですね。母は鈍感で、虐待という意識が無いわけではなかった。
この発言を聞いた愛子は母と別れた後に
まあ、そう。そうやんな。やっぱりあの人、どういうことかわかってて。
わかってて、たすけてくれへんかったんやなあ。
と初めからわかっていたような気持ちを胸中で独白していました。が、半ばそうではないかと思っていたとしても、それが明確にそうであったと分かってしまったことには強いショックを受けたはずです。
母への怒り
その後、愛子が結婚を前にして母親に怒りをぶつける場面でも、母がこの事について話す場面が出てきます。
そこでは母自身、夫による愛子への行為が悪影響でないと考えていた訳ではなかったのに、それでも別れなかったのは自分に経済力が無く、一人では愛子を育てられないと考えたからだったということが語られます。
愛子からすれば、たとえ貧乏になったとしても、父と別れた母と二人で暮らせた方がどんなにか幸せだったのではないでしょうか?
ただ、愛子が実家の経済力には恵まれており衣食住に困らず、(問道教の関与こそあったものの)まともな教育を得られたのも確かではあります。少なくとも、直接的に死に至らしめられるような環境ではなかった。
この母の判断に対して、愛子は
母の愛情の形だった
と解釈しており、そこには一定の理解があったのだろうと思います。仕方なかったのかもしれない、という。
母の謝罪
作中ラスト付近で母は愛子に謝罪をします。その中では
愛子が一番苦しんで辛い思いしてた時、お母さんは向き合えんかった。何が一番大事かわからんかってん。
と後悔の気持ちを込めた贖罪の言葉を口にします。
また、この場面が描かれる少し前、過去を回想する悪夢の中で、愛子が助けを求めたのは母親だった。
「お母さん助けて!」
という自分の言葉で愛子はその悪夢から目覚めます。
愛子の想いと母親の想い。それらは本来、共に同じ方向を向いていたはずなのに、一番助けが欲しい時に愛子は母からの助けを得られなかったのですね。
結局のところは、やはり愛子の母親が夫と別れて一人で仕事をして稼ぎ、愛子を育てていくという判断を下せなかったのが一つの分岐点だったと思うのですが、それだってやはり簡単にできる事ではないのも、また事実なのです。
愛子と母の共通点と相違点
愛子は母に対する思いがある一方、自身は作中で離婚した後に
性交をする「女」にも、それにより子どもを産む「母」にもならなくて良い。そう思った瞬間、どっと肩の荷がおりた。
と独白していました。
これを愛子の母に当てはめて考えてみた時、母は「肩の荷がおろせなかった存在」なのかもしれないと感じました。離婚できずにそのままズルズルと関係が続いてしまった、言わば、ifの世界における愛子の姿が母だったのではないでしょうか?
愛子は謝り続ける母親に対して、今はもう殺そうとも、また抱きしめて欲しいとも思っていないと胸中で語りかけていました。
これは、愛子が母に何も望まない。関係を断ちたい。諦めている。そうした気持ちの表れなのかもしれません。
しかし何よりも母自身に対して、愛子が今後背負うつもりの無い「母」という役割を期待しない事によって、母を"重荷"から解放したいという気持ちが、そう独白させたのではないかと感じずにはいられなかったです。
母に今更謝られても仕方ない。恨んでいた。憎んでいた。しかし、今はただただ悲しい。
この悲しいという感情は、母のそれまでの生き方、そしてこれからも同じようにしてしか生きていけないであろう姿に対する、愛子の素直な気持ちなのだろうと私は思いました。
自分を大事にして
母親へこんな言葉を送った愛子。
この言葉はいみじくも2巻で、一時的に愛子と交際関係になったクラスメイト(遠藤)から掛けられたものと同じなのですよね。
当時の愛子は、それを素直に受け入れる事はできなかった。それは、自分を大事になどできなかったからです。
そんな愛子が母に掛けたこの言葉。これは、母に対する言葉であるのと同時に、愛子自身に対する言葉でもあるような気がします。
この場面では、母に対する愛子の気持ちに加え、この時点の愛子なら、この言葉を素直に受け止める事ができるという事もあわせて表現されているのかもしれません。
経済力の有無による差異
愛子と母の相違点としてまた挙げられるのが、自分でそれなりにお金を稼ぎ、手に入れる事が出来るかどうか。すなわち、経済力の部分です。
愛子が離婚してから一人暮らしを始める場面でも、それがしっかり表現されています。
愛子は一人暮らしの中でプレッシャーから解放され、徐々に好きな物だけに囲まれた生活を送れるようになります。
この時、いきなり一人暮らしを始める場面からは描かれず、その元手となった貯金の存在について触れられているのですね。
こんな大金を自分だけのものにできたのは初めてだった
という愛子の独白が入りますが、この少し後の場面で母が
おばあちゃんもおるし、生活力もない。生きていくために我慢してこの生活を続ける。そうやって最後まで生き抜くことだけしかお母さんにはできへん。
と愛子に意志表明するのは、愛子と母における一つの相違点を示すための対比構造だったのかなと思います。
辿り着いた折り合いの地点
ラストシーンに差し込まれるカットも、いずれも意味深です。
『絶歌』
少女時代の関係性に一つの変容をもたらした事件の犯人である"少年A"の手記。出版されてすぐの時は世間を騒がせたものの、今では古本屋の一冊100円の棚に並んでいる。
宗教の功罪
幸せそうに子と共に植物の世話をする母親。彼女が子に話しかけた
さ、お祈りの時間だよ。
という台詞からは、彼女もまた愛子の家族が傾倒した問道教の信者であり、それを子に伝えようとしていることが分かります。
彼女の顔にあるそばかすから、彼女はおそらく愛子と一時的に友好的であった松本さんだろうという推測ができます。
彼女は問道教の教義に懐疑的でしたが、"少年A"の事件の発生やクラスメイトとの和解などの顛末を経て、結局は問道教の教えを受け入れ、そして周囲に溶け込んでいきました。
そんな彼女が今なお無自覚に問道教を信仰しており、それを子に伝えようとしていて、そしてそれなりに幸せな「普通」を手に入れているのは皮肉的です。
思えば、愛子のおばあちゃんもそうでした。
問道様のおかげでばあちゃんの人生、幸せやってんで。
と愛子に語るシーンが1巻にはありました。
この描写からは、問道教は自身を孤立させる特殊な環境を生んだ点で愛子にとって忌避すべき要素だったと思いますが、一方で、それを単純に受け入れて生きる事で心の平穏や幸せを手に入れている人々も確かに存在した。宗教というものが持つ多様性を表しているように解釈しました。
植物に水を与える愛子
最後の薬を服用しつつ、残った水を植物に与える場面。これは特に印象深い場面でした。
植物を育てる行為にはうつ症状を改善する効果があると言われています。
また、自身が飲むのに使った水を分けるという描写からは、自分が動く為にエネルギーを消費した上で、その残りだけであれば他者へも与えられる余裕が生まれてきたことを示しているようにもみて取れます。
他人に依存しなければならかったり、自分のことだけで精一杯だったりしたかつての愛子からみたら、このラストシーンにおける精神状態がどれだけ穏やかなものとなっているか。それが感じられるような気がして、読んでいて少し救われた気持ちになりました。
【補足】電子書籍版は渡辺ペコさんとの特別対談も収録
【お知らせ】11月9日発売『愛と呪い』第3巻刊行記念で企画した、ふみふみこさん×渡辺ペコさんの対談は、電子書籍版のみの収録になりますのでご注意ください(紙の単行本にはページ数の都合で収録できませんでした)。
— yomyom (@yomyomclub) 2019年11月8日
なおこの対談記事は、11月15日配信の本誌ほかでもお読みいただけます。
こちらは作品の感想というのではないのですが、情報共有として。本作の電子書籍版には渡辺ペコさんとの対談も掲載されています。
内容は上のリンクから読めるものと同一です。
紙の単行本には掲載されていないようですので、対談まで含めて3巻を読みたいようであれば、電子版の購入をお勧めします。
対談の中で印象に残ったのは、ふみふみこさんの母に対する気持ちについて、
「許す」というのとはちょっと違って、「理解しながら距離をとる」みたいなところに、ようやく辿り着いた感じです。
と語られていた言葉でした。
作品の描写と照らし合わせると、より深く作品を理解できる対談内容でした。本作品を読まれた方には読後、ご一読する事をおすすめします。
まとめ
この作品で描かれた「愛子」の辛さや苦しみは多分、ほんの一部分を切り取ったものに過ぎず、この作品には描かれなかった事や時間が、きっと沢山あるんですよね。
そういった様々な物の積み重ねの上で、この作品が発刊されたのだろうと考えると、作者であるふみふみこさんについて、ただただ、凄いと思わされるばかりです。
読んでいる中では愛子に感情移入し、つらくなる場面もありました。しかし、今ではこの作品を最後まで読めて良かったと思いました。
以上、『愛と呪い』3巻の感想でした。