風太郎と五姉妹の京都における修学旅行での様子が描かれる巻。四葉の自己犠牲精神、風太郎が自身を取り巻く好意をある程度把握していること、過去の京都の出来事の一部、そして写真の子の正体に関する真相が明らかになる。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『五等分の花嫁』10巻を読んでの感想です。感想の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
なお、各話毎の感想・考察に興味がある方は下記に感想・考察に関するまとめのページを作成しましたので、そちらからご参照ください。
本記事では10巻全体を読んでの総括的な感想を主に行っています。なお、現時点で雑誌(マガポケ)での連載部分は10巻以降の範囲に入っていますが、そちらに関するネタバレは本記事ではしないように気を付けています。
感想
中野五姉妹と風太郎について、それぞれ触れる形で10巻の内容を振り返ってみようと思います。
一花
本エピソードにおいては偽三玖として、場をかき回す役割を担ったのが一花でした。終盤では罪の意識から三玖をサポートして彼女の告白を支え、一方で、かつて風太郎と会っていたのは本当だったという事が明らかになったりしました。
何というか、今回の物語の中で一番割を食ったのが一花という印象です。最終的に冷静さを取り戻した風太郎から、冷たい態度を取った事に対する謝罪を受けたものの、そこに至るまでの精神的ショックを考えると可哀相ですね。
三玖に成りすましてしまったことが根本原因なので、そこは自業自得といえなくもないですが、最初に三玖に成りすましたタイミングはもののはずみ、魔が差したような感じでしたから、そこを考えると自己責任と突き放すのは情に欠けるかなと個人的には感じます。
一花は旅行の最後で「全部 嘘」と風太郎に伝えます。何が全部嘘なのかは、かつての単話感想内で考察したので割愛するとして……風太郎はその発言のどこまでが嘘なのか、多少なりとも気になっているはずでしょう。
何せ一花は、風太郎と歩いた道がどこであったかという情報を彼に語っています。風太郎は、一花が写真の子ではないと思っていますが、しかし、一方でかつての京都の出来事についての記憶を持っている事を不思議に思っているはずです。
風太郎はその事について、今後一花に質問する可能性があります。もしかしたら、それによって、風太郎が日中に京都で共に時を過ごした子が四葉であったことを知るきっかけが生まれるのかもしれません。
二乃
二乃は旅行前の班わけで改めて風太郎に正面から好きだと伝える、一花のやり口を真っ向から否定する、三玖に活を入れるなど、まさに八面六臂の大活躍でした。
しかし、京都の地で何かしら風太郎に対してのアプローチができたかというと、ほぼ何も無かったという点では報われなかった印象です。姉妹の絆を維持・修復するので手一杯でした。そこには、彼女の良くも悪くも面倒見がよい性格が表れています。
強いて言えば、映画村のこのシーンで、風太郎に抱きつくことができたのは良かったかもしれません。ただ、風太郎は誰かに押されたという印象しか持っておらず、相手が二乃だったことには気づかなかったようですが……。
三玖
この修学旅行で最も風太郎に接近できたのは三玖でしょう。正面から告白をして、風太郎もそれを素直に受け止めました。また、パン作りについても、その努力を風太郎が肯定してくれました。
更には、自身の内面ばかりに目が行っていて、風太郎がどんなものを好み、どんな事を経験してきたかという点までは意識できていなかったという点に気付くこともできました。
修学旅行開始から二日目までは報われない感じでしたが、終わってみれば最も有益に過ごせたのは三玖だったといえます。
四葉
四葉は元々、風太郎と結ばれることはありえない、と自嘲めいた口調で語っていたこともあり、風太郎に対して恋愛感情をもっての接触は試みていません。
修学旅行中で強く印象に残ったのは、このシーンです。ここでは、何故四葉が他の姉妹に気を遣うのか。それが、過去に在籍していた学校における落第騒動に端を発することが明言されます。
この、以前在籍していた学校における落第に関するエピソードは、かつての期末試験前、観覧車内で四葉が風太郎に話しています。そのため、私自身、頭には入っていました。しかし、四葉がこの事をそこまで気に掛けているとはこの話を読むまでは気付けませんでした。
単話考察でも書きましたが、上で挙げた「ありえません」という台詞は、他の姉妹よりも幸せになってはいけないという四葉の自己犠牲めいた考えが影響していると考えられます。四葉が風太郎を仮に好きであったとしても、他の姉妹を出し抜いて自分が結ばれることはあってはならない、というロジックなのですね。
他の姉妹の幸せのために、四葉は三玖の告白をサポートします。一花に対してはマイナスの効果をもたらすと後から気付いた四葉でしたが、少なくとも三玖の役に立つ事ができたという点は、彼女にとっては喜ばしい出来事だったでしょう。彼女自身、その本心に無理やり蓋をしているのでさえなければ……。
五月
五月は現時点で、風太郎に対する恋愛感情を読み取ることはできません。よって、彼女も恋愛めいたアプローチはしていません。
彼女は旅行中に清水寺で風太郎とツーショット写真を撮りますが、これはあくまで写真の子に関する風太郎の記憶を呼び覚まそうとするためでしょう。風太郎への恋愛感情からツーショットになりたかった、という訳ではなさそうでした。
二日目夜でも「二人きりになりたい」という主旨の発言をしますが、素直な解釈としては風太郎に対して写真の子に関する情報を他の姉妹にバレないように共有したいというのがその動機と考えられます。
五月の努力の甲斐あって、風太郎はかつての記憶の再整理が進みます。写真の子はかつて、お守りを買っていたことを改めて意識するのですね。
しかし、風太郎は零奈の正体に迫るひらめきは得たものの、零奈≠写真の子という事実には気付けなかったようです。そのため、零奈はお守りをもう持っていないという事実を、写真の子はお守りを持っていないという事と同一だと判断してしまいました。
それによって、「現在もお守りを持っている」のに、「自分が写真の子」だと言う一花の事を風太郎が嘘つきだと判断する結果に繋がります。
五月もまさかそんな風に話が転がっているとは、思いもしていないでしょうね。この展開は、皮肉的としか言いようがありません。
風太郎
風太郎については言及する内容が複数になったので、簡単に項を分けて書きます。
自身に対する好意の察知
風太郎に関する内容で少し驚いたのは、三玖の自身に対する好意に気付いていたという点です。
ラブコメ作品における主人公は、ヒロインから告白されないと、その恋心に気付けないパターンが非常に多いです。しかし、風太郎は三玖の振る舞いから、自身に向けた好意を探り当てます。
この点からは、風太郎が比較的地に足のついた発想をする、聡明なタイプのキャラクターであることが改めて実感できます。
既に何かに気付いている?
これまでは主人公ということで風太郎の内面は余す事なく描かれていたのですが、この巻では風太郎の内面描写が大分少なくなっていることが分かります。この点からは、風太郎が既に何かしらの事実に気付いており、それが読者に対して隠されている可能性が高いと考えられます。
風太郎が勘付いていそうな点で有力なのは"零奈"の正体が誰かについてでしょう。
ショッピングモールで五月は零奈として現れましたが、この時に風太郎と買い物に来ていたのは四葉と五月の二人のみです。
そして、四葉はらいはと共にいたタイミングだったとすれば、(他の姉妹がこっそりショッピングモールに来ていたという可能性を考慮しないならば)可能性として残ったのは五月だけという事になります。
これは読者だけでなく風太郎視点でも得られる情報なので、彼が同様の結論に辿り着いている可能性は充分にあるといえるでしょう。
盗撮騒動の是非
修学旅行中に盗撮騒動が巻き起こりますが、その犯人(首謀者・依頼者)が風太郎であったことがラストで判明します。そして、その目的は、五姉妹へのプレゼントとして修学旅行時のアルバムを作るためであったことも明かされます。
ただ、個人的にはこの盗撮騒動云々の要素は読んでいて微妙に感じました。
微妙に感じたのは、やはり手口が盗撮のようなやり方になった点ですね。単純に前田のやり方がまずかったのかもしれませんが……風太郎から五姉妹へのサプライズにしたいのであれば、前田・武田に依頼するだけでよく、隠れてこそこそ撮らせる必要は無かった気がします。「クラス全体の写真を撮っている」などの口実をつけて彼らが撮れば、盗撮騒動にはならなかったでしょう。
物語の展開的に、それでは盛り上がりに欠ける(普通に写真を撮るだけではつまらない)という意見もあるかもしれませんが、それならそれでもう少し味付けに使ってくれたらよかったという印象です。
今回の話の中では、二乃(実際には五姉妹全員ですが)が盗撮されているかも? と感じる以外に物語への関与がありませんでした。しかし、この「盗撮魔がいる(かも)」という要素が、他の姉妹あるいは先生などに何らかのアクションを起こさせ、それが風太郎あるいは姉妹の誰かの行動に影響するといった作りになっていたとしたら、より話が多層的になって面白味が増していたのではと感じました。
あるいは、元々はそうした展開のネームになっていたが、全体的な話のボリュームや冗長さ等を考慮して、そうした仕掛けがカットされて盗撮騒動の部分だけが残ったという可能性もあるかもしれませんね。
考察
零奈および写真の子の正体が明らかになる
本エピソードでは様々な人物の正体が分かりました。以下、簡単に整理しましょう。
五月
9巻ラスト等でも示唆されていましたが、彼女が零奈の正体であることがはっきりしました。
まず、ショッピングモールで現れた零奈について、五月であるのは誰も疑わないでしょう。
一方で、「七つのさよなら」編で公園に現れた零奈とショッピングモールに現れた零奈が同一人物という確実な証拠はありませんでした。しかし、10巻ラストで風太郎と会う場所に例の公園を利用している事から、やはり公園の零奈も五月であると解釈して良さそうです。
一花
一花は京都で風太郎と共に過ごし、夜に旅館でトランプをして遊んだ仲であることが判明します。
そもそも、一花は9巻ラストで風太郎と写真の子のツーショットを見ただけで「京都の」と判別できたという事実がありました。
この事から、彼女が子供時代の風太郎の事を記憶している可能性は高く、それ故に写真の子の正体は一花かなと思っていたのですが……実際のところは、旅館で僅かな時間、風太郎と会っていただけだったというのが真相でした。
修学旅行の二日目で一花は、風太郎に対して自分たちが六年前に会っていると伝えます。これは風太郎に嘘扱いされてしまいましたが、本当のことです。
但し、日中は風太郎と過ごしていません。そのため、清水寺付近の道を一花が一緒に歩いたという事実はありません。
にも関わらず、「この道を歩いた」と一花が発言できたのは、本当の写真の子が旅館に戻ってから、他の姉妹に対して話した内容を一花は覚えていたのでしょう。その際の記憶を頼りに、彼女は風太郎と会話したわけです。
旅館で遊んだゲームは七並べでした。これは林間学校で風太郎がやろうといったゲームであり、また、それに対して一花(口調からそう判断してよいでしょう)が「懐かしい」と発言したゲームです。二人にとって、七並べで遊んだのが楽しかった記憶として心に刻まれているのがよく分かりますね。
なお、一花が風太郎を京都で会った少年と思い出すのは林間学校の肝試しの時点です。そのため、ここで「懐かしい」と発言しているのは、風太郎の存在を意識しての発言ではなく、純粋に過去に七並べを遊んで楽しかったという記憶からきているものと考えるべきでしょう。
四葉
彼女こそが、京都で日中におみくじを風太郎の前で購入し、また彼と写真を撮った、写真の子であったと判明します。
四葉=写真の子という説自体は、
- 四葉の内面描写が殆ど描かれていない
- その仕草(ピースサインなど)が共通している
などの要素から、比較的その可能性が高いと常々語られていたことでした。10巻でこの点について明確に答が出された事で、物語の構造は大分クリアになった気がします。
これら、過去の思い出の真相が一つずつ明確になることによって、今後は未来、すなわち風太郎が誰と結婚するのかというステップに物語がいよいよ進み始める事になりそうです。
五月が零奈になったきっかけは?
現時点で尚、明らかになっていないのが五月が零奈になった理由についてです。今の時点で分かっている事は
- 10巻ラストの時点で五月は四葉が写真の子であると分かっている
- 同じく、四葉は五月が零奈として振る舞ったことを分かっている
という事実までです。五月が零奈となった理由は言及されていません。
この理由については、大きく2案が存在しています。
- 四葉が五月に零奈となるよう依頼した
- 五月が独断で零奈となった
この2つです。ネット上などで有力なのは1の案ですね。一方で私は2の案かなと考えています。それぞれの案で、話の辻褄が合うかを整理してみましょう。
四葉が五月に零奈となる事を依頼した場合
そもそも五月が零奈になったのが四葉からの依頼によるものだとしたら、四葉・五月、互いにその正体を知っているのは自明のことです。
五月が独断で零奈になった場合
先に書きますが、五月が独断で零奈になったとする場合の動機については、説明を割愛します。過去(79話読了時)の記事で、その点については考察しているので、よろしければ下記リンク先の記事をご参照下さい。
さて、五月が四葉を写真の子だと知る事ができるポイントは2つあると考えます。
1つ目は、五月が風太郎から奪取した写真です。この写真を見て、姉妹を互いに見分ける能力によって、写真の子がが四葉だと五月が見切ったケースがまず考えられます。
しかし、小さい頃の五姉妹は今以上に似通っており、また実物ではないこともあり、写真からでは判別できなかった可能性もあります。
2つ目は、修学旅行中に四葉から声を掛けられた場面です。五月の挙動に不審な点を感じた四葉が探りを入れますが、ここで五月が「写真の子」の記憶を風太郎に思い出させようとしているのだと四葉に説明する中で、それは自分なのだと四葉から明かされたという可能性が考えられます。
どちらで気付いたのかは分かりませんが、個人的には2の修学旅行中に気付いたというのが真相ではないかと考えています。
そう考えた理由は、この四葉から五月への問い掛けを行う前の場面で、五月が風太郎とツーショット写真を撮る際の経緯にあります。
もしこの時点で五月が写真の子を四葉だと既に知っていたのなら、風太郎とのツーショット写真を撮る相手として、自分ではなく、写真の子本人である四葉を選ぶのが自然ではないでしょうか?
にも関わらず、五月は自分がツーショット写真の相手になりました。これは、彼女がこの時点では写真の子が四葉だと気付いていなかったからではないか、と考えました。
なお、この時点で五月が四葉を写真の子と知らなかったと考えることは、零奈となる事を四葉に依頼されたという可能性も否定します。もし四葉からの依頼で零奈となったなら、五月が四葉を写真の子だと知らないのは極めて不自然だからです。
そうした理由から、私は五月が独断で零奈になったのではと考えた次第です。
長々と五月視点の話を続けましたが、四葉が五月が零奈として振る舞っているのを知った場面についても補足すると、上で挙げた清水寺での五月への質問時に聞き出した、という事になります。
いずれにせよ、五月が何故零奈になったのかについては、今後何処かで明らかになる事でしょう。今からその時が来るのが楽しみです!
雑誌版からの修正点について
雑誌版からの修正点が大きく分けて3点あると認識できました。私が気付けた点だけですが、挙げておきます。
「五年前」と「六年前」の混同が無くなる
高校二年の時点で、風太郎と写真の子が会ったのは「五年前」とされていました。しかし、雑誌連載時は高校三年になってからも「五年前」とされていたり、一方で一部の表現では「六年前」と正しくなっていたりといった点が見受けられました。
これは単純なミスで「六年前」の記述が正しかったようですね。単行本化に際し、「五年前」記述は「六年前」に軒並み修正が掛かっています。
「一年の頃のお友達」という表現
雑誌版における清水寺の場面で四葉は、五月と二人で回っている理由について風太郎に、
一花と二乃は二人とも 一年の頃のお友達と見て回るそうです
と話します。が、五姉妹は一年の頃は別の高校(黒薔薇女子)に在籍しています。よって、この高校に「一年の頃のお友達」はいないという矛盾がありました。
この点について、「二年の頃のお友達」という表現に修正されることで矛盾が解消されました。
四葉が"写真の子"と判明する箇所のカット追加
一番大きな変更(追加箇所)がこれですね。雑誌版には無かったカットが追加されています。
ちなみにこちらが雑誌(マガポケ)版のラストページです。
台詞が「五年前」となっているのはご愛嬌。四葉が公園をバックに立つ姿のカットはなく、また写真についても触れられていません。
単行本版の方が「写真の子が四葉である」という事がより分かりやすく強調された描写になっていますね!
まとめ
この巻は思い出の地・京都での修学旅行における、五姉妹の衝突と和解、またそれを通じて、これまで謎とされてきた"零奈"や"写真の子"の正体が明らかになりました。
単行本の巻末、次巻予告では、この後に過去のエピソードが描かれることが示唆されています。果たして6年前の京都でどんなことがあったのか。五姉妹を遺し他界した母はどんな存在だったのか。
過去の話も気になりますが、それに輪をかけて気になるのが、現在・未来の話です。すなわち、修学旅行後の風太郎と五姉妹の関係性の変化です。風太郎は四葉が"写真の子"だと気付くことができるのか。もし気付くとしたら、どうやって?
等々、気になる事はまだ沢山あります。今後の展開がどう転ぶのか、予想がつきません。また次巻も発売が待ち遠しいですね!
以上、『五等分の花嫁』10巻の感想でした。
§ 本記事で掲載している画像は(C)春場ねぎ・講談社/『五等分の花嫁』より引用しています。