盗撮騒動の犯人、零奈の正体、写真の子の正体がいずれも明かされる。風太郎は零奈を京都で会った写真の子と認識している様子。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『五等分の花嫁』86話「シスターズウォー エキシビションマッチ」を読んでの感想・考察です。感想・考察の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
なお、下記は前話(85話)を読んでの感想・考察記事となります。よろしければ、ご覧下さい。
出来事のおさらい・感想
86話で起きた出来事を簡潔に箇条書きすると、こんな感じでした。
- 三玖が風太郎に対する告白をはぐらかす。
- 盗撮騒動の首謀者と実行犯が明かされる。
- 一花に対して風太郎が謝罪する。
- 五月が零奈であることが示唆される。
- 四葉が写真の子であることが示唆される。
本話では、色々なことが一気に明らかになりましたね。この話は単行本10巻においてトリを飾る話となるため、大きな何かが起こると予想していた人は多かったことと思いますが、ここまで色々な話が出てくると想像できた人は少なかったのではないでしょうか? 正直なところ、とても20Pとは思えない情報の密度でした。
ちなみにエキシビションという言葉についても一応解説すると、公式試合ではない、娯楽性の高い試合の事を意味します。フィギュアスケートのエキシビションなどが有名ですね。勝ち負けは判定されず、またその娯楽要素が高いこともあって、参加者も比較的リラックスして臨めるのが特徴です。
なお、たまに「エキシビジョン」と後半部分を濁らせた表記になっているケースがありますが、正しくは濁りません。この点は英単語(exhibition)をイメージすると、濁らせる事について違和感があることが実感できると思います。
三玖の告白は、彼女の方からはぐらかすという形で一応の決着をみました。しかし、実際のところは三玖の好意は風太郎に伝わっており、それを両者ともに認識している状態です。しばらくは判断保留となるわけで、この点は二乃と一緒です。
盗撮騒動については81話読了時点の考察の通りでした。首謀者は風太郎であり、姉妹へのプレゼントとしての写真を撮るため、前田と武田に協力を依頼していたようでした。
二乃が単独で狙われているというのは彼女の早合点であり、実際は五姉妹全員がターゲットだったようですね。
以下、今回特に気になった点を考察します。
考察
四葉と五月の関係
まず、何より語られるべきは、写真の子の正体についてです。
写真の子は誰か?
ごちゃごちゃした説明は要らないですね。写真の子が四葉であると明らかになりました。
零奈は誰か?
また、ほとんどの人は既に納得済だったかと思いますが、公園で現れた零奈も、ショッピングモールで現れた零奈も、いずれも五月である事も確定したと考えていいでしょう。風太郎と会っている現場が、零奈が初登場した公園である事がその根拠です。
「勝手な真似」とは何か?
気になったのは、この台詞です。零奈が言う「勝手な真似」とはどういう行動を指しているのでしょうか?
これについては、五月が続けて発した
ですが……打ち明けるべきです。
五年前……本当に会った子はあなただったと
という台詞から類推できます。
これは言い換えれば、五月が勝手な真似をしなければ、誰が写真の子として会っていたのか、風太郎には分からない、ということ。
つまり、五月の言う「勝手な真似」とは、写真の子が誰であるかを風太郎に思い出させようと五月がアクションを取っていることを意味すると解釈できます。
四葉は風太郎に、自分が写真の子だとは気付いてほしくないようです。
【追記】四葉は何故、自分が写真の子だと気付いてほしくないのか?
今回の話の中で、四葉は風太郎に自身が写真の子だと気付かれたくはないと思っていることが明らかになりました。しかし、それは何故なのでしょうか?
先日挙げた別の考察記事において、私は四葉が自身が写真の子だと風太郎に伝える事をマルオによって禁止されている可能性があると指摘していました。
しかし、どうやらそれは的外れだったようですね。四葉の語り口からは、それが他人に強制されている様子は見て取れず、自身の判断において黙っていると解釈するのが妥当でしょう。
何故、四葉が自分が写真の子であると風太郎にバレたくないのかは……やはり、この発言にあるのでしょうね。四葉は少年時代の風太郎に、自分がみんなのお手本になると宣言していました。
しかし、実際にはお手本になるどころか、自分の落第が原因で他の姉妹を巻き込んでしまっているのが現状です。
四葉にとって、この落第騒動が大きな心の傷になっているのは明白です。この事が強く影響して、四葉は風太郎に自身が写真の子であると胸を張って言えないのだと考えられます。
四葉と五月はどの時点から通じていたのか?
今回の話で、五月が写真の子は四葉だと知っていたことが明らかになりました。この点については可能性が二つ考えられます。
一つは、そもそも五月が零奈として動いていたのは四葉によって依頼されていたからという考え方。
もう一つは、五月が風太郎から零奈の姿により奪取した写真を見て、四葉であると察したからという考え方です。なお、この場合、五月が零奈として動いたのは、彼女独自の判断によるものだったということになります。
私はこれまでの考察の中では後者、つまり五月のスタンドプレーだと思っていましたが、どうやらそれは間違っており、実際には写真の子である四葉に依頼された上での行動だった線が濃厚になりました。
今回の話でそこが明確に語られているわけではないのですが、零奈の服装を身に付けている五月に対して四葉が普通に声を掛けている場面から、この事は推定が可能です。
五月の普段と異なる姿に対して、四葉は何の違和感も抱かずに声を掛けています。これは、五月が零奈に変装した姿について、四葉が既に見たことがある、またはその変装の支援をした(洋服を調達するなど)のだと考えられます。
しかし、もし五月が写真から正体を四葉だと見抜き、それについて四葉本人に相談するなどの意図で声をかけたのだとすると、その際にわざわざ五月が零奈の格好になったとは思えないです。つまり、四葉が零奈の服装を見ることは無かったはず。
にも関わらず、四葉は五月の零奈姿を知っていると思われる。これは、取りも直さず、四葉が五月に零奈として振る舞うことを依頼し、その過程において四葉が零奈の服装を知り得たものと考えられます。
【追記】四葉が修学旅行中に五月から打ち明けられた可能性について
上の項で、四葉は五月に零奈として振る舞うように依頼した、だからその見た目も知っていたと書きましたが、落ち着いて考えてみると、そうとも言い切れないですね……。
五月はもともと零奈として独断で動いていたが、何処かで四葉にその事を勘付かれ、五月から経緯を話す事になったという可能性もありえます。零奈の見た目についてはその際、五月からきちんと説明を受けているなら、四葉が違和感を持つことはないでしょう。
四葉が五月に対して違和感を覚えたことが読者にはっきりと提示されているのは、82話の清水寺の場面です。ここで、五月が四葉に零奈を巡る件について洗いざらい話している可能性はありますね。
しかし、この場面で五月から四葉に零奈の件について話されており、また四葉から五月に自身が写真の子である事についての口止めが行われたのだと考えると、いささか腑に落ちない点もあります。
一つは、上の場面の前にツーショット写真を撮る際、五月が風太郎と一緒に写真を撮り、四葉と風太郎をセットで撮らなかった点です。
四葉が写真の子だと五月が一方的に気付いていて、かつ正体を明かさないでほしいというお願いを四葉からされる前なのだとしたら、この場で風太郎と写真を撮る相手には四葉が相応しいと五月は考えそうなものです。しかし、そうはしませんでした。
なお、ツーショット写真の件を巡る考察は、以下の記事でも言及していますので、よかったらご覧下さい。
もう一つは、清水寺で四葉から口止めされたのだとしたら、五月が二日目夜に風太郎と二人きりになりたいと主張する動機がよく分からなくなる点です。
五月が風太郎と二人きりになりたい理由については、五月から風太郎への恋愛感情が明確にみられないことを考慮すると、他の姉妹に気付かれない場で零奈の真相を明かすためだと考えていました。しかし、清水寺で四葉に口止めされており、五月がそれに従う方針なのであれば、わざわざ二人きりになっても意味は無いことになります。
修学旅行後の五月の言動からして、四葉のお願いを押し切って、風太郎に真実を伝えるつもりはなさそうです。だとすると、この場面で二人きりになりたいと回答したのは何故か? と疑問が生じます。
ただ、この点については
- 五月は風太郎に対する恋愛感情を実はこの時点で既に抱いており(読者には明確に提示されていないだけ)、零奈の事を抜きにしても二人きりになりたいと思っている
- 五月は風太郎に恋愛感情までは抱いていないが、友人として好ましいと考えており、せっかくの修学旅行を二人で楽しみたいと考えている
- これまで風太郎と二人になりたいという様子をみせていたのに、この場で「私は別にいいです」と反する言動を取るのは不自然でややこしくなると考え、本心とは多少違うが肯定した(そのために「否定はできない」という微妙なニュアンスになった)
など、五月が取る心理には色々な可能性がありうるため、一概にばっさりと切れる話ではないのかなとも思います。
果たして四葉と五月の繋がりが何処からあったのか。最初から(つまり、四葉の依頼で五月は零奈になった)なのか? 修学旅行中なのか? はたまたそれ以外の場面なのか? 現段階では、それはまだ明確にはなりません。
ただ、可能性だけ並べてどれにもベットしないというのはつまらないので個人としての見解を挙げると、修学旅行中における四葉の五月への質問の場面に意味付けをするならば、やはり修学旅行の時点で気付いた可能性が高いというのが感想です。
このスタンスを取る場合には、上で自分で挙げた、五月の腑に落ちない言動について何らかの説明を付ける必要が生じます。
この点について私は、五月は風太郎に写真の子が誰か気づいて欲しいという思いを持っているのと同時に、風太郎への恋愛感情も(五月がそれを意識しているのか無意識かはさておき)現時点で既に抱いており、それ故に風太郎とのスキンシップやコミュニケーションを求めていることの表れなのかなと解釈しました。
現在、風太郎に対する恋愛感情を五姉妹の中で五月だけは持っていないように思われていますが、実はそこかしこの場面に、その萌芽が散りばめられているのかもしれませんね。
四葉が写真の子と判明した時点で、これまでの行動についても洗い直してみたいところですが……それをやると本記事があまりにも長くなりそうなので、それはまた別の記事(おそらくは10巻の感想時)に譲るとして、この項はここで閉じます。
風太郎と一花の関係
風太郎がEコースを選んだ理由
風太郎が最終日、Eコースを選んだ理由について。私はこの点について83話の考察記事にて、
二日目終了時点のやり取りからして、一花の事を意識して風太郎がコース選択したという可能性は低そうに感じます。
やはり、純粋に楽しそうなものという事で風太郎はEコースを選択した可能性が高いでしょう。
と書いていました。
しかし、実際には風太郎は一花のことを考えてのコース選択だったようです。しかも、その理由は一花に謝るためでした。
風太郎の考え方は、相当大人ですね。あの喧嘩別れの後に、そこまで考えて行動できるとは……なかなか実践できる事じゃないですよね。正直驚きました。
一花の「全部嘘」に込められた意味
一花は風太郎の謝罪を受け入れる中で、不意に風太郎の頬にキスをしながら、
全部 嘘だよ
と発言します。この発言が指し示す意味が不可解だったのか、風太郎は帰りのバスの中でも、その言葉を反芻します。
この言葉について、一花はどんな考えで発したのでしょうか。考えられる点について、挙げてみました。
1)風太郎に冷たい目で見られたのが悲しかった、というのが嘘
これは直前の風太郎との会話を受けての意味合いです。二日目に冷たい目で見た風太郎を責めた上で、本当はショックになど思っていない、という意味ですね。
2)かつて京都で会っている、というのが嘘
一花は風太郎に対して「五年前に会っている」と83話で発言しました。それが出まかせである、という意味です。
3)風太郎との思い出や彼に対する好意が嘘
これは一花の内面の問題です。かつて風太郎と過ごした時間、そしてそれを経て育んできた風太郎に対する恋心。それらは全て無かった、嘘なんだ、という意味です。
4)上で語ったことは全て嘘
しかし、実際には1)〜3)は本心ではないはずです。風太郎に冷たい目で見られた事はショックだったし、京都で風太郎と会っていたのも本当ですし、そして何より一花の風太郎に対する好意が嘘なわけがないのです。
つまり、これは一花自身は意識していないと思われますが、1)〜3)が嘘であるという発言、それ自体がまた嘘という二重構造なのだと私は読み取りました。
誤解はどうやって解かれるか
一花は結局、エピソード「スクランブルエッグ」以前の、自分の気持ちを押し殺すモードに戻ってしまいましたね……色々やらかしがあったとは思いますが、このまま風太郎に誤解されたままではあまりに可哀想です。
しかし、風太郎は
お前の言い分も聞かずに
と発言しています。映画村では一花のキスもあって有耶無耶になってしまいましたが、このままでは風太郎自身もすっきりしていないはず。
一花から直接聞き出そうとするのか、別の経路になるのかは分かりませんが、今後、何処かでこの誤解については解消される可能性は高いです。そして、その時こそが一花から風太郎への正面からの告白が行われる時になるのだと推察されます。
個人的にありうると考えるのは、四葉が「一花が写真の子だ」と風太郎に嘘をつく展開です。これは、四葉にしてみれば自身が写真の子であると隠す狙いがあるのと共に、一花を追い込んでしまったことへの負い目の解消にもなります。
しかし、そうした四葉の言葉によって一花を写真の子だと思い込んだ風太郎が一花にその旨を話し、それに対して一花が「私は写真の子ではなく、夜にトランプで遊んだのだけが私」と本当の事を言うという展開がありうるのでは、と考えています。
風太郎と零奈の関係
風太郎は修学旅行後、零奈とあの公園でまた会っていました。
二人は何の問題もなく待ち合わせていますが、風太郎から零奈にコンタクトできるとは考えにくいので、零奈(五月)のほうから手紙などを送るなどして、待ち合わせの約束を取り付けたものと思われます。
今回の話から読み取れたのは、やはり風太郎は本気で零奈=写真の子だと考えているということです。零奈に対する感謝の言葉が、彼女の正体を探るための揺さぶりなどであるとは考えにくいです。
そして、それがよく伝わってくるが故に、五月は四葉に、あなたが写真の子だと名乗り出るべきだという思いを更に募らせる結果となっています。
今現在、風太郎が自身(五月)を本物の写真の子と考えている状況は、五月にとっては心苦しいようですね。
しかしこの先、風太郎は何処かで写真の子が四葉だったと知る時が必ず来るはずです。果たしてそれは、どういった形で訪れるのかを考えてみました。
五月から告げられる?
何度となく秘密をばらそうとしている五月。彼女によって、風太郎に真実が伝えられる可能性があります。
しかし、修学旅行中はあくまで風太郎自身に気付かせるように行動するなどに徹しており、また86話の様子からも四葉に黙って真実を伝えるといった行動に出るとは、現時点では考えにくいです。
一花から告げられる?
五月以外に写真の子の記憶がありそうなのは一花です。彼女から風太郎に、四葉が写真の子だと語られる可能性もありそうです。
しかし、一花は修学旅行最終日に「全部 嘘だよ」という発言を風太郎に対して行いました。この中には自分がかつて風太郎と会っていたのも嘘、という意味合いも含まれていると考えられる事は上で挙げた通りです。
だとすると、彼女が当時の事を知っているというニュアンスのことを風太郎に語れば、その嘘が嘘でなかったという事を意味することに繋がってしまいます。よって、一花が写真の子関連の話を風太郎に積極的に振るとはやや考えにくいです。
風太郎本人が見破る?
誰かから伝えられるのではなく、風太郎が自発的に零奈が写真の子ではないと見破る展開も考えられます。
しかし、現時点では風太郎の思い込みは強固です。零奈と写真の子の等号関係を自ら疑ってかかるには、何らかの新情報が誰かによってもたらされなければ、やはり困難な気がします。
四葉本人から告げられる?
四葉自身から告げられる可能性はあるでしょうか?
しかし、最新話の描写を見る限り、その可能性は極めて低いというべきでしょう。風太郎から直接問われるなど、何らか追い込まれた場面で止むを得ず白状するような事態は考えられますが、四葉が自発的に風太郎に自身が写真の子だと伝えるとは考えにくいでしょう。
二乃から告げられる?
二乃は少年時代の金髪風太郎の写真、またキンタローの姿を見ても、それを風太郎と結び付けられなかったことから、小学生時代に風太郎と接点があった事に、そもそも気付いていない可能性が高いです。
このことから、二乃の修学旅行における記憶量が乏しいことが推測されます。だとすると、二乃から真相が伝えられるというのは望み薄です。
三玖から告げられる?
個人的に可能性が高そうに思っているのが、三玖から風太郎に四葉が写真の子である事に関する情報が伝えられるという線です。
三玖自身が写真の子であるという可能性については、これまで読者は否定的でした。それは、彼女自身が写真の子でかつ記憶が残存しているなら、そのことが風太郎を想う心理描写に関係してこないのは不自然だからです。
しかし、三玖自身が写真の子でないのであれば、過去の京都における出来事を記憶していることは十分に考えられます。三玖の中では京都の修学旅行の記憶は風太郎と接点が無いため、作中の心理描写に登場しなかっただけ、と解釈が可能だからです。
三玖から風太郎に告げられる情報として考えられるのは、京都での旅行中に四葉が一人はぐれてしまったという内容です。
風太郎は写真の子と交わした会話の中で「人を捜してる」「お互い一人」など、彼女が他の人間からはぐれている事実を示唆する発言を聞いています。そのため、五姉妹で旅行中に四葉だけがはぐれたという話を聞くことができれば、彼女が四葉だったと風太郎は推測する材料を得られます。
これまで全く京都の件と絡みがなかった三玖が、物語終盤で京都の件について言及してくるというのは、いかにもありそうな展開だと思うのですが、どうでしょうか?
まとめ
本話は上でも書きましたが、これまで明確になっていなかった写真の子や零奈に関してまとめて確定した事で、非常にインパクトのある回でした。
本話は単行本の構成上、何かしら大きな情報が提示されると推測した人が多かったと思いますが、各種の事実が明らかになった中で、次話はどんな展開になるのかは非常に興味をそそられます。
修学旅行編が幕を閉じ、一つのイベントが終わった今、次回はどういった話が展開されるのか? という気持ちで一杯です。また来週が待ち遠しいですね!
以上、『五等分の花嫁』86話「シスターズ・ウォー エキシビションマッチ」の感想・考察でした。
§ 本記事で掲載している画像は(C)春場ねぎ・講談社/『五等分の花嫁』より引用しています。