あるこじのよしなしごと

東京の片隅で、妻と4歳の息子と三人で暮らしています。 ボードゲーム、読んだ漫画・本、観た映画・テレビ、遊んだゲーム、育児について、その他日常などを綴っています。

映画『それでもボクはやってない』感想

ざっくり言うと

痴漢冤罪をテーマに、現代日本における刑事手続き及び有罪率99.9%といわれる裁判の現状を描いた作品。観る事で何かしら「考えさせられる」ことは間違いない。

こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。

映画『それでもボクはやってない』の感想です。感想を書く上で、その展開等に言及することになるため、ネタバレを含みます。

概要

監督は代表作『Shall we ダンス?』で有名な周防正行監督です。以下、公式サイトよりあらすじを引用します。

就職活動中の金子徹平(加瀬亮)は、会社面接へ向かう満員電車で痴漢に間違えられて、現行犯逮捕されてしまった。警察署での取調べで容疑を否認し無実を主張するが、担当刑事に自白を迫られ、留置場に勾留されてしまうことに。勾留生活の中で、孤独感と焦燥感に苛まれる徹平。検察庁での担当検事取調べでも無実の主張は認められず、ついに徹平は起訴されてしまった。刑事事件で起訴された場合、裁判での有罪率は99,9%と言われている......。

徹平の弁護にあたるのはベテラン弁護士・荒川(役所広司)と新米弁護士・須藤(瀬戸朝香)。被害者と同じ女性としての見地から、痴漢冤罪事件の担当を嫌がる須藤。しかし荒川は、「痴漢冤罪事件には、日本の刑事裁判の問題点がはっきりとあらわれる」といい、須藤にはっぱをかける。そして徹平の母・豊子(もたいまさこ)や友人・達雄(山本耕史)たちも、徹平の無罪判決を信じて動き始めた。周囲が見守るなか、ついに徹平の裁判が始まった......。

それでもボクはやってない - 映画・映像|東宝WEB SITE

感想

「考えさせられる」映画

どんな映画も観終わったときには、何かしらを考えさせられたという感想になりやすいですが、これほどまでに考えさせられる映画もなかなか無い気がします。

そう感じた理由は、男性にとって身近に感じられる痴漢冤罪の可能性という脅威について改めて思い知らされること、そして、痴漢という犯罪が客観的な証拠を得ることが極めて難しいことの2点です。

痴漢冤罪の脅威

痴漢の疑いをかけられてから、どういう流れで逮捕・起訴・裁判と進んでいくのか。それが具体的に描写されています。個人的には裁判のシーンよりも勾留中、朝起きて布団を駆け足で片付ける、房内の掃除を行う、急いで歯を磨けと言われる部分に、あー、そうなるんだ……と感じました。一つ一つは大した事じゃないけど、これが重なると精神的にキツいのは凄く伝わってきました。

主人公の男性の「俺は何もやっていないのに」という納得のいかない気持ちと「裁判になればほぼ有罪」という絶望の気持ちの間で揺れ動く様に納得感があり、そして恐ろしいと感じました。

この作品の主人公はまだ若く、求職中の身です。加えて、家庭を持っている訳でもありませんし、恋人とも別れていて今はフリーの状態でした。そのため、解雇に対するリスクや妻子・恋人にバレたくないなどの葛藤はそこにありません。そうした状況もあって主人公は罪を否認し続け、裁判へと話が進む訳ですが、仕事があったり、妻子・恋人がいたりする場合には、たとえやっていなくてもやったと認めてしまうかもしれないと思わされました。

作品の冒頭では本当に痴漢をしたと思われる男が罪を認め、当日の午後には勾留から解放されます。痴漢をしていなくても、認めなければ長く勾留されてしまう事との対比は何とも皮肉的です。

客観的証拠が得られにくい犯罪

主人公の立場からすれば、被害者の証言一つで逮捕され、長い裁判を戦わなければならないのは耐え難い苦痛です。しかし、被害者の証言以外の証拠がなかなか見つからないのが痴漢という犯罪なのだという点も改めて認識させられました。痴漢を本当に行った人間だって、捕まった際には常習等で無い限り、主人公同様に無罪を主張するでしょう。そこで、確実な証拠がないから逮捕できないとしていたら、世の中の大半の痴漢は捕まらない気もします。

被害者だって立証しろと言われても難しいんですよね。裁判の最中では、その際にどういった事が起こり、その際の犯人が主人公だとどう判断したかが被害者に対して丁寧に問われます。作中の被害者の証言は曖昧なところが多いのですが、実際に被害に遭ったら恐怖心もあり、冷静にその時の事を覚えてなどいられないでしょう。しかし、自分が被害に遭ったという事だけは間違いなく覚えている。この状況で、相手が犯人だと立証できないから無罪だと言われたら、納得はいかないですよね。

もちろん、その判断や記憶が間違っているのかもしれません。そのため、何らかの勘違いによって無実の人間が罪に問われるような事があれば、当人はたまったものではありません。しかし、証言の厳格さが求められれば、被害に泣き寝入りしなければならない人間は増えてしまう事でしょう。

目撃者の証言は重要ですが、それだって勘違いや思い込みが影響しているかもしれません。作中では主人公が痴漢ではないと言ってくれる目撃者の証言もあるのですが、その証言内容は裁判官からみると微妙な内容でした。

物的証拠という点では、犯行時の繊維片が手に付着しているかという観点があるようなのですが、作中では「繊維片が出なかったからシロとはいえない」と刑事が証言していました。

かように客観的な証拠がほぼ見つからないのが痴漢という犯罪であり、どうにもならない、堂々巡りです。そして現状はそれに決着を付けるべく、被害者の証言が重要視されている様が作中では描写されます。主人公は司法から「罪を認めない、反省の色がみえない人間」「行動に合理性を欠くため信用できない」と判断されていきます。一方で被害者の証言は曖昧な部分がありながら「分からないことは分からないとはっきり言う」「話す内容に臨場感があった」などと評価されます。

主人公からすれば、何とも理不尽な話です。犯罪の特性上は仕方ないのかもしれませんが、自分が主人公の立場になったら、仕方ないからでは受け入れられない話です。本当に答の無い問題だと感じさせられました。

起訴前から犯人と決めつけられる被疑者

被疑者として勾留された主人公に対する扱いは完全に犯罪者に対するそれです。有罪無罪以前に、まだ起訴すらされていない段階から。

しかし、例えばある事件の容疑者逮捕などの報道がされると、ほぼ真犯人が見つかったのと同義だと私も考えてしまいます。疑わしきは罰せずという理屈は知っていながら、逮捕時点でまだ有罪判決が出ていないのだから犯人扱いはしないといった理性的な判断は、日常では行っていないのです。そしてこれは、世間の大多数の方もそうだろうと思います。

だからこそ、それが冤罪だった場合が恐ろしいんですよね。仮に自分あるいは自分の身内が冤罪で捕まったとしても、世間の人はもう間違いなく私や身内を犯人だと考えてしまうことでしょう。それはある意味どうしようもない事であって、どうしようもないと分かっているだけに対策も無いと諦念に打ちひしがれてしまうように思うのです。

一方で決めつけるという意味だと、逆の事もいえるかもしれません。私や受け手は主人公が無罪であると何となく感じていますが、実は彼が本当は犯人かもしれない可能性が残されているのがこの作品の巧みな所です。というのも、電車におけるやりとりのシーンはあくまで、「主人公の回想」として描かれます。そのため、うがった見方をすれば、彼が実は犯人だが意図的に事実を隠蔽している、あるいは自分可愛さに記憶を無自覚に改変して無実を訴えている、そんな可能性もゼロではないのです。

この、主人公が無実だと確定しているわけではないという点は周防監督の狙いの一つでしょう。単純に映像化するなら、当日の出来事のシーン→いきなり捕まるシーン→勾留後のシーン……といった形で時系列で並べれば良かっただけです。そこを敢えて、起こった事について主人公の回想という形にしたのは、主人公の無実を客観的な事実として確定しないためと考えられます。

しかし、私含め多くの受け手は、基本的に彼が無実であるという前提でこの作品を鑑賞します。そこには明確な理屈がある訳ではなく、これは作中に登場する警察や検事の裏返しで、情緒的な判断と言わざるを得ません。司法の原理原則からいえば「疑わしきは罰せず」のため、そうした受け手の判断はたまたまその結論には沿っているのですが、そうした情緒的な判断はいつ真逆の結論になってもおかしくないのです。これは映画だから主人公を無実と見ることができますが、同じ光景が普段の通勤経路で起こったら、どう判断するかは正直分からないと思いました。下手したらその風貌から「これはやっているな」などと決めつけてしまうかもしれない。

多かれ少なかれ情緒的に決めつけるという行為は誰しもが日常的に行なっているものであり、映画ではなく日常の中で、そこから一歩離れた視点で物事を見つめる事は相当に難しい。そう感じました。

起訴されたら99.9%有罪

作中に登場する駅員さんは痴漢被害があったとの報を受け、主人公に対して「話を聞くから」と言って事務室に連れて行きます。しかし、話は聞かずに警察に引き渡します。警察はその時点で主人公がやったと決めつけ、取り調べで自白を強要します。

ちなみに、強引な取り調べをする刑事の中に、一人だけ「本当にあいつは痴漢したんですかね?」と疑問を呈する人間もいました。それに対して「犯人じゃないかもなんて考えてると落とせないぞ」といった叱責が飛ぶのです。酷い話ですが、一方で理解できてもしまいました。刑事たちからすれば、犯罪者はいつも嘘つきなのです。相手の話を聞いていたら丸め込まれると考えるのでしょう。

警察に捕まってからは検事が相手ですが、頑として痴漢を認めない主人公に対して、やはり嘘つきであり、反省していない卑劣な男とみています。そして、主人公は起訴され、99.9%有罪となる裁判の場へと舞台は移ります。

恐ろしいのは、誰もが後の人間に判断を丸投げにしていくところです。駅員も警察も自分の仕事は捕まえる事で、無罪なら裁判所で判断されればいいと無責任に考えています。しかし、裁判になってしまったら、もうその時点でほぼ有罪は確定なのです。そして、タチの悪いことに出てくる人は皆、おそらく悪い事をしているつもりなどなく、むしろ真面目に業務をこなしているつもりなのでしょう。しかし、そうした犯罪者に対する厳しい姿勢が、時に冤罪を生み出してしまうのだと思わされました。

「無罪を出すには勇気と能力がいる」

一度逮捕され、起訴されるまでは皆、主人公のことを完全に犯罪者扱いでした。では、裁判になったらどうなのか?

悲しいことに、裁判官の心証も基本的に主人公は有罪前提です(少なくとも作中で判決を下す裁判官は)。

見出しの台詞は、作中に登場する傍聴マニアが語った言葉でした。無罪判決を出すということはすなわち、警察の捜査や検事の起訴という判断に対してNOを突きつけるということ。それ故に、裁判官は無罪判決を出すには勇気と能力がなければならないというのです。何でもかんでも有罪にすればいい訳でもないそうですが、沢山有罪を出した方が裁判官は出世できると語られます。

こうした話も理不尽ながら、やむを得ない部分があるのだと思わされてしまいました。裁判官も人間です。周囲の目は気になるし、出世もしたい。それ故に意図的にねじれた判断を下すのはどう考えてもおかしいのですが、有罪・無罪で迷ったような時には無罪ではなく有罪にしたいと考えてしまう事もあるのだろうと。人が人を裁くことの難しさをそこに感じずにはいられません。

ところで、この小日向さんが演じる裁判官が、そういう芝居なのだと分かっていても、観ていて本当に腹立たしいというか、もっと主人公たちの話を聞いてくれよ! という気分にさせられるんですよね。そういう意味で、非常に上手くこの裁判官役を演じられたと思いました。

現状の有罪率・起訴率は?

この映画が放映されたのは2007年です。それから10年以上が経過した今、痴漢冤罪を巡る有罪率や起訴率に変化があったのかが気になり、調べてみました。

痴漢犯罪の統計については、以下のページで2016年実績をまとめている情報がありました。

https://弁護士刑事事件.com/chikan_yuzairitsu/

痴漢のみでの統計データが無いため、他罪も含んでの数値となっていますが、

  • 全刑事事件の有罪率は高裁で約96.3%、地裁で99.9%
  • 強制わいせつ罪の不起訴率は59.9%

となっていました。2016年でも有罪率は変わりませんね。なお、映画内では語られなかった不起訴率については約6割である事も記されていました。裁判までいった場合はほぼ有罪になってしまうため、大事なのは検察で不起訴処分になる事だと読み取れます。

しかし、強制わいせつの疑いで逮捕されたが不起訴となった事例がどういうものなのかまでは分かりませんでした。そもそも当該ページは弁護士さんによってまとめられた内容で、痴漢冤罪の人だけがターゲットなのではなく、実際に痴漢をした人であっても示談等で不起訴を目指すのが目的なのですね。だから、冤罪なのかそうでないのかという切り分けまでは行われていない訳です。

つまり、この不起訴処分は冤罪の人が否認し続けた結果、主張の正当性が認められたものだけでなく、実際に痴漢した人が示談をしたものも含まれるのです。というか、6割の不起訴のほとんどが後者(示談)なんじゃないかと思ってしまうのですが……。

いわゆる痴漢冤罪において目指したい所は前者なのだと思いますが、生活を守るために、自分はやっていないのに後者の選択を取らなければならなかったとすれば、前科はつかなかったにせよ、悲しい話と言わざるを得ませんね……。

その他

裁判官の方が本作を観た感想

本作品の鑑賞後、実際の裁判官の方々がこの映画を観た上で開かれた意見交換会が行われたということを知りました。下記にその意見交換会の報告のページへのリンクを張っておきます。

http://www.j-j-n.com/opinion/s_reikai2007/

実際に人を裁く立場の方からの意見はどれも興味深い内容でした。どの意見も内容が濃いですが、本作を観た方にとっては、率直に言って大変面白く読める内容だと思います。

私がこの映画を観たきっかけ

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本作を私が観たきっかけは、漫画『岡崎に捧ぐ』を読んでいて、友人の誕生日に、たまたま上映されていたこの映画を女性二人で観るというシーンがあったためです。

もともとこの映画の事は知っていましたが、このエピソードを読んで、そういえば観たことが無かったなと思い、本作を鑑賞した次第です。

しかし、この映画を誕生祝いで奢ってもらったとしたら一体どんな気持ちになるのか……ちょっと想像できませんね(笑)

まとめ

本作は周防正行監督による、痴漢冤罪がテーマの作品です。逮捕され、起訴された時点で推定有罪となる現代司法の問題が描かれています。

作中の警察や検察、果ては裁判官までもが被害者の証言を最重要視する事で主人公を犯人と決めつけ、追い込んでいきます。被害者の証言のみによって追い込まれる事の恐ろしさを感じる一方で、被害者からしてみれば痴漢は客観的な証拠を挙げづらいためにそうならざるを得ないことや、自分自身も報道やその他情緒によって多数の決めつけを行なっているのではないかということについて気付かされました。

この映画を観て、どういう考えになるかは人それぞれだと思いますが、見終わった時に何かしらの感じる所があるのは間違いないです。まさしく「考えさせられる」映画でした。

以上、映画『それでもボクはやってない』の感想でした。

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