学園祭二日目と三日目の四葉の様子が描かれる。四葉は自身が不在の中、その穴を埋めるために様々な人が協力してくれたことを知る。その後、過去の自分との決別を風太郎に告げ、ひとり涙する。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『五等分の花嫁』108話「最後の祭りが四葉の場合②」を読んでの感想・考察です。感想・考察の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
なお、下記は前話(107話)の感想・考察記事、および感想・考察の記事一覧へのリンクとなります。よろしければ、ご覧下さい。
◾️前話の感想・考察記事
◾️感想・考察記事 一覧
出来事のおさらい・感想
108話で起きた出来事を簡潔に箇条書きすると、こんな感じでした。
- 四葉と竹林の会話の様子が明かされる。
- 四葉が倒れた中で、彼女に助けられた様々な生徒が彼女のために尽力したことを風太郎が話す。
- 風太郎が眠る中、"零奈"として四葉は話す。それを経て、過去に決別して未来に進むことを四葉が決心する。
108話は四葉エピソードの後編でした。彼女が倒れる前と倒れている最中、そして翌日である三日目の昼の場面が描かれました。
竹林とは何を話したのか? 演劇部の出し物はどうなったのか? そして、四葉は風太郎によってどのように救済されるのか? それらの疑問に対する解が示された回でした。
以下、今回特に気になった点を考察します。
考察
竹林と四葉の会話
まず、竹林は何を四葉と話したのか。これは過去の風太郎と交わした約束の事についてでした。
107話の感想では風太郎へのエールを含めて、そうした過去の事が会話されたのではないかと推測していました。
この予想は概ねズレてなかったと思いますが、そんな中で予想とずれていたポイントが何故、竹林は四葉を認識し得たのか? という点でした。
私は100話で四葉が声を掛けてきたから竹林は四葉を知っていたのだと思っていました。しかし、実際はそうではなかった。
竹林はかつて京都駅でぶつかった五つ子の顔を覚えていました。恐るべき記憶力……!
そして、風太郎の高校に来てみると、同じ顔の女生徒がいた。そこで、竹林は過去の記憶とまず結びつけました。
ただ、竹林の中で京都で会った彼女らは四つ子として認識されていました。
しかし、二乃や五月との会話の中で実際には五つ子であると話され、その認識が修正されることになったようです。
その会話の中で、五つ子の中ではぐれた少女がいたことを竹林は知ります。そして、その事と風太郎がかつて話していたエピソードを関連付け、その少女がいわゆる"写真の子"だと竹林は理解したのですね。
では、何故竹林は四葉がそのはぐれた子……つまり、写真の子だと分かったのか? ここまでの情報だけなら、パンケーキ屋台で竹林と対峙していない一花や三玖もその候補に入る筈です。
しかし、これは至極単純な話。竹林は四葉を見た際に「おそらくはこの子が写真の子だろうと何となく気付いた」のですね。
もっとも、これは竹林の勘の良さ、またある程度の運の良さが効いた結果という気もします。さすがにあの写真から現在の四葉だと見抜くのは普通に考えて無理でしょう。だからこそ、竹林も四葉に
風太郎と会ったのはあなたですか?
と念のため確認していました。これは彼女が写真の子という確信が無かったからですよね。
二乃や五月が、四葉こそがはぐれた少女だということまで含めて話していたのかもしれませんが、その可能性は低いと感じました。何故なら、竹林にはその見分けがつかないためです。
二乃達が見分け方まで竹林に伝授した(例えば今日の服装や髪型など)という可能性もありますが、もしそうだとしたら四葉という肝心の「名前」だけを竹林に敢えて教えないというのはあり得ないと考えました。竹林は最後まで、四葉の名前を一度も口にしなかった。多分、それはその名前を知らないからです。
だとすると、やはり竹林は二乃や五月にそこまではぐれた少女の詳細を教えてもらったのではなく、本人を実際に目視した時点で初めて認識したのだと考えました。
ところで少し意外だったのは、小さい頃の風太郎が写真の子との思い出を竹林に「嫌というほど見せていた」ことです。
自分が風太郎だったら……と立場を置き換えてみた時に、もし竹林に対する恋心が少しでも残っていたなら写真の子のことは多分隠すだろうと思ったんですよね(笑)
でも、風太郎はそうしなかった。この事からは、風太郎が竹林に対して抱いていた淡い恋心については、綺麗さっぱり吹っ切れているのだと解釈できると思いました。
四葉の穴を埋めたのは?
さて、演劇部の出し物はどうなったのか?
当然ですが、代役を務めるとしたら劇の中身まできちんと分かっていないと出来ないのです。その点で、幾ら四葉に似ていたとしても二乃や三玖、五月には不可能でした。
ただ一人、一花だけは四葉に演技指導をしていた。この事から、一花だけは劇の中身をある程度知っていると推測でき、それ故に彼女が代役を果たしたのではないかと思っていました。
しかし、結果はまさかの江場部長が代役でした!(笑) この展開を想像できた人はかなり少ないのではないしょうか。
江場部長は100話などでインタビューを受けている場面がありました。単なるお笑いネタだと思ってましたが、あれも一つの伏線だったのですね。
中野さんが私のことを見ていなくても、私は中野さんのことをずっと見ているよ……と表現すると途端にホラー色が強くなりますが(笑) ともあれ、結果的に江場部長は撮影していた動画を元に四葉の事を助けてくれました。
また、四葉を助けてくれたのは江場部長だけではなかった。
演劇部の衣装直しには被服部の部員が、屋台チェックの仕事は親戚に紹介状を送る際に手助けした女生徒が、そして各種資材の移動にはライブ出演をサポートしたバンドメンバーが、皆それぞれ助けてくれました。
四葉は前話で「持ちつ持たれつ」の精神について語っていました。しかし、実際には他人に自分の弱みを見せてサポートを頼む事はこれまでしてこなかったわけです。
それは何故かというと、四葉は自分が抱えた仕事や役割を果たせなかった場合の迷惑、そればかりを考えていたからです。
しかし、当たり前ですが、それを助けてもらった人々は四葉の頑張りを理解し、感謝してくれていました。だからこそ、四葉は彼らに恩返しを受ける形で助けてもらえたのですね。
この点について、かつての黒薔薇女子時代に部活の助っ人にあけくれて五姉妹を転校させるきっかけを作ってしまった出来事と並べて考えてみました。
この当時、四葉は確かに部活の助っ人として役に立っていたものの、その根底にあるのは自分の存在意義を認めてもらうことだったというのが私の解釈でした。
一方、旭高校に来てからは、同じく部活の助っ人をこなしてもいましたが、その動機はあくまで困っている人を見過ごせないからだったんですよね。
これらについて、外形的には他人の事にかまけて自分の事が疎かになるという構図で共通しているのは確かなのですが、その根っこにある気持ちが自分のためか、他人のためかという点で大きく異なります。
転校してきてからの四葉は、あくまで他人の幸せのために動いていた。それは自分を犠牲にして為されていたが故に、「七つのさよなら」編では風太郎や他の姉妹に結果的に累が及んだこともありました。
しかし、この回ではそうした四葉の頑張りが無駄ではなかった、認めてもらえたことの表れのように受け取れました。
四葉の心理の流れについて
四葉が倒れ、風太郎とキスをして、涙を流すに至った心理についても整理してみました。
四葉がショックを受けたこと
まず、四葉が倒れた直接の原因は過労です。これは作中で明言されました。
一方で、107話の内容からは、竹林から聞いた言葉の何らかにショックを受けたのも倒れた遠因とも読み取れました。では、その言葉とは何だったのか?
これはおそらく、四葉が竹林との会話の中で、風太郎に自身の正体を明かせないのは、風太郎のように五年間で成長できなかったからという理由を伝えた際に竹林が何の気なしに発した
それだけですか?
という言葉でしょう。
竹林からすれば、そんな事を気に病む必要はなく、素直に風太郎に真実を伝えればよいという意味合いから「それだけ」という言葉を用いたことでしょう。つまり、ある意味で四葉の後押しをするための言葉のつもりだったはずです。
しかし、四葉はこの表現が引っ掛かったのでしょう。それだけの事を気にしてしまうのが自分という存在であるといったように反射的に発言に対して反発する気持ちが生まれ、自分を矮小化する方向に思考が向かったのでしょう。
過負荷による疲れ、そして一方で、今走り回っている自分の存在意義は何かという迷い。最終的にはこの二つから、四葉は倒れるに至ったと考えられます。
過去への決別と風太郎へのキス
四葉は回復後、風太郎から様々な人が自分を助けようとしてくれた事を聞きました。
これによって多少気持ちに余裕のできた四葉は、そこではじめて竹林が発した「それだけ」という意味の真意を読み取れるようになったのではないでしょうか?
その証拠に、四葉が竹林と交わした会話を回想しているような描写がここで入ってきます。
「それだけ」の過去に囚われず、今を生きること。その重要さに気付いたのですね。
風太郎も、自分が無価値だという悩みを抱えながらも、京都での誓いをきっかけとしてそれを払拭し、ひたむきに努力できました。
四葉は風太郎と違って、過去の誓いによって前に進む事はできず、逆に囚われて停滞してしまった。
しかし、この日をもって誓いとは決別して前進すること。昔ではなく、今を大切に生きること。それを四葉は風太郎との会話の中で決心します。
最後の思い出のキスと涙
最後の思い出として、四葉は風太郎にキスをし、その後、ひとりで涙を流します。
この涙は過去の風太郎との絆を断ち切った事に対する寂しさの気持ちもあれば、その誓いを守ろうとして過ごしてきたこれまでの日々を思っての事もあるでしょう。
まさに一言では言い表せない気持ちが溢れての涙だったのだと思います。
ところで、四葉の風太郎への想いは依然として封印されたままのように見えます。上で書いた涙の理由の一つには更に、今後自身が風太郎と結ばれる事は無いという想いも込められているように感じられるのです。
しかし、今が大事だという話なら、今この時点で風太郎のことを好きだという自身の気持ちを大事にして、素直に風太郎と向き合えば良い。
にも関わらず、四葉がそうしようとしないのは、過去の絆を切る事=今の好きという気持ちの根元を断つ事と考えてしまっているからなのかもしれません。
この点は、やはり本当の意味で四葉は過去を断ち切れていないようにも感じられる点ですし、また四葉によるある種のお膳立てによって、架空の存在である"零奈"とのみ決別を済ませる事で五姉妹に対する想いは維持し続けられている風太郎の姿との対比が哀しいとも感じました。
風太郎の胸中は?
今度は風太郎についての整理です。彼は四葉との会話の中で、
俺もお前の世話になった一人だ
と語っていました。
ここの言葉はいかようにも読み取れます。一体、どこまでの意味を指して、発されたものなのでしょうか?
- 学園祭二日目、学級長の仕事を沢山引き受けてくれた
- 学級長への推薦や林間学校でのサポートなど、クラスに溶け込み学園生活を楽しむきっかけを作ってくれた
- 京都で約束を交わし、今の自分を形作る根源となってくれた
少なくとも、1及び2の意味までは確実に含んでいるでしょう。
問題は3です。果たして、ここまでの意味が込められていたのか?
そう解釈するには、風太郎が四葉のことを写真の子だと気付いていなければ成立しません。
では、風太郎はそこに気付けているのだろうか?
108話では風太郎が"零奈"と話す場面がありました。しかし、この"零奈"は五月ではない。四葉です。
この階段での会話のシーンが、かつて京都駅で風太郎に四葉が助け舟を出した、彼らが初めて出会った場面とのリンクであるのは言うまでもありません。
ここで四葉の存在を違和感なく受け入れている風太郎の言葉を読んで、零奈が四葉であってもおかしくないと風太郎が思っているように一見見えたのですが、その後で風太郎は実は夢だと思っていたことが読み手に明かされるため、その真意は明確にはなりませんでした……これは歯がゆい!
これまで私は「風太郎は零奈の正体が五月だと思っており、そこが実際の写真の子である四葉と食い違う点にドラマがある」という意見を持っていました。
しかし、108話を読んで、風太郎が写真の子を五月と勘違いする展開は四葉が不憫すぎると思い始めました……。風太郎には何としても、四葉を写真の子だと思い出してほしいですね!
風太郎は京都で四葉と二人ではぐれた際に、探しに来たマルオが四葉を名前で呼んだのを聞いています。
この記憶を引き出せれば、風太郎が写真の子を四葉だと認識する事は可能なのです。
そう考えると、今回の話の中で竹林が四つ子のことを記憶していたと話したという点は今後、風太郎も過去の記憶を取り戻すという展開を見据えての布石なのか? とも思いました。
作家の森博嗣は、記念すべき第1回メフィスト賞を受賞した小説『すべてがFになる』の中で
思い出と記憶ってどこが違うか知っている?(略)思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ。
と書いていました。

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果たして風太郎は今後、かつての京都の記憶を取り戻し、それを幸せな思い出に変えられるのでしょうか?
単行本12巻の表紙について
本話の冒頭では12巻の表紙も公開されました!
12巻の表紙は風太郎! どう見ても新郎の格好ですね。となると13巻は花嫁が表紙?
— あるこじ (@arukoji_tb) 2019年10月29日
学園祭編は多分113話で完結(五月編→風太郎編→最終日)。そして通常通りなら13巻のラストが113話。
これは113話で花嫁が確定ですかね🤔 14巻にあたる部分で結婚式迄を描いて大団円か?
#五等分の花嫁
#ネタバレ pic.twitter.com/Q7ZQp3pUJ5
自身のツィートより。このままだと、素直に考えれば14巻で完結という線が濃厚なのかなと思います。
なお、上では風太郎に四葉のことを思い出して欲しいと書きましたが、それでは花嫁がそのまま四葉になるのかというと、この点は何とも言えません。
しかし、こうなってくると俄然花嫁の確率が高まったのが五月です。
— あるこじ (@arukoji_tb) 2019年10月29日
仮に五等分の花嫁が14巻で完結するなら、五月の過去やその救済を描く尺が足りない様に思えます。
しかし、ここを風太郎との結婚に至る中で並行して描くならば分量が足りると考察できます。
#五等分の花嫁
#ネタバレ
再び自身のツィートを引用しますが、もし14巻で終わるとすると、五月の抱える問題が綺麗に完結するための尺が足りないように感じられるのです。
しかし、五月が花嫁であれば、結婚に至るまでの顛末と並行して過去の話を混ぜ込みながら進める事ができる。
このことからは、ラストまで残りわずかである事が示されたことによって、物語構成上は五月が花嫁である可能性が高まったように感じました。
まとめ
108話では四葉が過去に決別する姿が描かれました。そして、四葉は自分から風太郎にキスしたものの、彼はそれをきちんと認識していないという形になりました……。
この展開は、四葉が好きな方からすれば、賛否どちらもありそうに感じました。風太郎に四葉がキスできなかった(風太郎目線で)というのは、花嫁になるかどうかについてプラス・マイナスのどちらにも転びそうな要素ですよね。
そして、次回からはいよいよ五月編が始まります。二日目昼の竹林との会話シーン以降、五月の様子は徹頭徹尾、隠されており、彼女が何をしているのかは非常に気になる点です。
おまけに次回の表紙は巻頭カラーなんですよね。この各姉妹を描くエピソードでは冒頭の表紙が最終日・夜の所在を示唆しているため、五月が何処で何をしているのかが一目で明かされるような内容になっているのではないかと実際の表紙を目にする前から、早くも想像を掻き立てられます。
そして、おそらくは五月編と絡むであろう、100話で提示された謎の影の存在。その正体も気になります。
最近では、もしかしたら五月は上杉家にいるのではないか? などという想像もしています。つまり表紙では学校ではなく上杉家、あるいはその周辺の公園に五月がいる場面が描かれるのではないかと。
これについて具体的な論は立っていませんが、何となく上杉家に五月が転がり込んでくる展開があるのではないかと思うんですよね……。
そしてまた、風太郎との思い出の場所である公園で夜に過ごす展開(おそらく二日目の夜)の存在などを想像してみても、そんな構図が浮かぶのです。
実際には109話はどんな表紙、そしてどんな展開なのか? 今後もその動向が見逃せません!
以上、『五等分の花嫁』108話「最後の祭りが四葉の場合②」の感想・考察でした。
§ 本記事で掲載している画像は(C)春場ねぎ・講談社/『五等分の花嫁』より引用しています。