漫画『笑ゥせぇるすまん』第11話の感想です。
感想の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
他方、あらすじの紹介が主眼ではないので、話の枝葉末節は記載しないつもりです。そのため、本記事を読むだけでは物語の内容は分からない可能性があることも、ご了承下さい。
第11話「押入れ男」
お客様について
漫画家の日陰久利です。売れない漫画家の日陰は、その名の通り陽の光を嫌い、室内で一日を過ごす事を好む青年です。
中でも、押入れの中で過ごすのが好きと語る日陰。そんな日陰に対し、喪黒さんは、日陰が押入れに入る行為を「体内回帰」であると説明します。
押入れと創作活動の関連性
藤子先生、押入れの中……と聞くと、やはり誰もが想像するのはドラえもんでしょうか。かくいう私もドラえもんに影響され、子供の頃に押入れで寝てみたりした事がありました。
『まんが道』の中でも、押入れに入る描写がありました。自室まで編集者が原稿の催促に来たと思った才野(F先生がモデルのキャラクター)が、押入れに入ってやり過ごす……というシーンです。
この他にも何処かで描写があった気がしますが、やはり実体験なのでしょうか。藤子先生自身、押入れに入るという行為について、どこか自分の身を守るというイメージを持たれていたのかもしれませんね。
ちなみに日陰は小説家・江戸川乱歩のエピソードにも触れています。
執筆の際に蔵の中に居たという逸話は知りませんでしたが、会社勤めの際に、出勤せずに寮の押入れで過ごした事があったという逸話は知っています。そして、そのエピソードが、かの名作『屋根裏の散歩者』の原案となったとか。
『屋根裏の散歩者』の粗筋をざっくり言うと、下宿先の屋根裏で各部屋が仕切りが無く繋がっていることに気付いた語り手が、屋根裏を暗躍して他の室内の私生活を盗み見るという話です。何処となく、A先生のブラックな物語との共通点を感じますよね。
漫画とアニメで異なる展開
閑話休題。外に出ずに押入れで過ごすのをこよなく愛する日陰ですが、ラストシーンでは喪黒さんの手で文字通り、白日の下に晒される事となります。
が、そこに至るにあたって、日陰はこれといった問題行動を起こしていません。部屋の家賃が払えないとか、そういうレベルの問題はあるものの、漫画原作で日陰は、喪黒さんの忠告に背く行為は取っていないのです。まさに災難。
ちなみに喪黒さんはドーンに至る以前のページで
押入れの中でじっとしてるのが天国かもしれない。
しかし、そうかといって一生押入れの中で生きるわけにもいくまい。
と独りごちています。日陰のように一人で部屋にこもり、社会と接触せずに暮らしていくことはそれ自体が罪であるのだ、という事を示唆しているのかもしれません。
しかし、これでは話の盛り上がり・説得力が欠けると判断されたのか、アニメ脚本では展開が改変されています。
アニメ版では日陰に対して喪黒さんが、そこから出なくても支障なく生活が営める「押入れ部屋」を提供します。集中できるスペースを手に入れた日陰は創作に没頭し、結果、ファンレターも沢山届くような売れっ子漫画家となります。
しかし、喜んだ日陰がその喜びを分かち合おうと、喪黒さんに押入れ部屋から出してもらおうとしても反応がありません。というのも、喪黒さんからは「何があってもその部屋を出てはいけない」と言われていたのです。
部屋を出たくても出られない日陰は、最初は素晴らしい環境を用意してくれたと感謝していた喪黒さんに対し、原稿料を横領する気なのでは?などと疑心暗鬼に陥ります。ストレスが最高潮に達した日陰は、最終的に力尽くで部屋の外に出ます。そして……!
あとは、原作と同じラストを迎えて終幕となります。
どうでしょうか。ただひたすらに理不尽な目に遭い、一方的に被害を受けるのみの漫画版。それとも、一度は良い目を見ながらも、初志貫徹しなかった事で自業自得として落とされるアニメ版。あなたは、どちらの展開がお好みですか。
私自身はアニメ版です。原作における、何もしていない日陰がただ不幸になるという展開は、やっぱり可哀想に感じてしまうんですよね。だから、アニメ版の展開の方が好ましいと感じました。
以上、『笑ゥせぇるすまん』第11話の感想でした。