79話の内容とこれまでの場面から、五月の行動原理について再整理し、考察する。結果として、彼女自身が現時点で風太郎に対して恋心を抱いているとは読み取れない。彼女は風太郎と「写真の子」の仲を取り持とうとしているようにみえる。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『五等分の花嫁』79話「シスターズウォー 二回戦」を読んでの感想・考察です。感想・考察の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
下記は、過去に書いた『五等分の花嫁』に関する記事です。本作の謎である風太郎の結婚相手・「写真の子」・零奈が誰かについて考察しています。よろしければ、ご覧下さい。
感想
零奈の正体についての再確認回
79話で起きた出来事を完結に箇条書きすると
- 零奈を装う五月の姿が登場する。
- 五月は零奈の正体について風太郎に問いかけるが鬱陶しがられる。その後、零奈(五月)は撤退する。
- 五月が風太郎に対し、修学旅行先で清水寺に行かないかと誘う。
- 四葉が写真の子に関する話題を耳にする。
こんな感じでした。77話でも零奈の正体がほぼ五月と確定していましたが、79話では更に一歩踏み込んだ内容になりました。
また、四葉が「写真の子」に関する話題に触れるなどもあり、写真の子=四葉派の人にとっては、見逃せない回になったのではないでしょうか。
以下、気になった点を考察します。
考察
五月は何がしたいのか
散々語られている事ですが、零奈こと五月の行動原理は極めて不可思議にみえます。零奈として風太郎に別れを告げたかと思えば、その秘密を明かそうとしたり、またショッピングモールで風太郎にその正体を問いかけてみたり……。
本記事ではこれまでに起きた内容を整理し、結局五月は何を考えているのかについて考察してみました。
なお、以下の考察は、五月がショッピングモールで現れた零奈および公園で風太郎とボートに乗った零奈の正体であり、かつ、写真の子とは別人であるという仮定の下で検討した内容です。
写真の子と零奈が別人ではないかという点については、下記記事で考察しているので、よろしければご参照ください。
ただし、写真の子と零奈が別人かどうかについては明確には分かりませんし、更に言えば「公園で風太郎が出会った零奈」と「今回のエピソードで登場した零奈」が同一かどうかも明言はされていません。しかし、一部でも仮定を置かないと考える要素が膨らみ過ぎるため、まずは上の前提を置きました。ご了承ください。
公園で「零奈」となった五月の目的は?
公園で風太郎と会った零奈(五月)は、以下の事を行いました。
- もう会えないと伝える
- 写真の子とのツーショット写真を抜き取る
- 必要とされる人に成長していると励ます
- 自分を認められるようになったら開けてと時限式でメッセージを残す(結果、開封されず)
1と2からは風太郎の写真の子に対する想いを断ち切ろうとする意思が感じられます。3からは風太郎が自身喪失している中で元気付けようとする意思が感じられます。4についてはメッセージ内容が分かりませんが、風太郎が自分の事を(昔に比べ成長できたと)認められていないと心理分析している事が分かります。
また、公園の零奈が五月だという前提で物語を見直してみると
夜の公園における、風太郎との会話がこの騒動が起きた端緒であったように見えます。風太郎は誰かの役に立つために勉強(努力)を重ねてきたのだと、この夜に五月は認識したのです。
零奈が登場したのは、期末試験に受からせるために五姉妹のことをまとめあげようと風太郎が奔走している時でした。
五月にはこの風太郎の姿が、可哀想に見えたのではないでしょうか。自分(風太郎)自身のために努力する時間を削ってまで、五姉妹のために動く風太郎に対して、申し訳ないと考える気持ちは理解できます。
そのため、他人のために風太郎が苦労を背負いこむ姿を「写真の子の呪縛」と考えた五月は、その役割から解放するために、成長した写真の子を演じ、その気持ちを断ち切ろうとしたのではないかと思いました。
ちなみに五月が零奈になった理由として、自分の独断なのか、または五姉妹の誰か(つまり、写真の子)に頼まれたのかで論が分かれていると思いますが、上の説明で分かる通り、私は五月が独断で零奈になった(誰かに頼まれた訳ではない)のだろうと考えている事を付け加えておきます。
秘密を明かそうとした時の五月の気持ちは?
公園での邂逅から時をおいて、五月は風太郎に対し、自身の正体が零奈であると明かそうとします。公園ではもう会えないと伝えたのに、何故、今更正体を明かそうとしたのでしょうか?
公園での出会いから、正体を明かそうとした77話までの間に迎えたイベントとしては大まかに
- 中野家の引越し
- 試験での初赤点回避
- 旅行先での偽五月騒動
- 3年進級・クラス替え
こんな事がありました。これらの出来事の内の何かが五月の気持ちを変えたのだと考えるのが妥当でしょう。
完全に推測になりますが、五月の心理に影響した出来事として考えられるのは
やはり、偽五月騒動の最中で、三玖の風太郎に対する恋心を知ったことではないでしょうか?
五月は公園で風太郎を励まし、負担を軽くするつもりで零奈に変装し、写真の子と風太郎の関係を断ち切りました。しかし、後になって三玖が風太郎に好意を持っていることを知った。ここで、自分のやらかした事の重大さに気付いたのだと思います。たとえば、もし三玖が写真の子だったのだとしたら、勝手に風太郎との絆を断ち切ってしまった自分の行為は最悪です。
そうした罪悪感から、自分が零奈を演じたことを風太郎に明かし、写真の子は私ではなく、他の誰かなのだ(だからもう会わないという思いを写真の子本人が思っているわけではない)と伝えようとしたのではないかと思いました。
ショッピングモールで「零奈」となった五月の目的は?
最後は79話における五月の心理です。この話は上の二つの話に比べ、五月の内面が細かく出てきました。一つずつ噛み砕いてみましょう。
今日伝えたい事を君から言ってくれてよかった。
風太郎が、五姉妹の誰かが零奈の正体と看破している事を伝えた後の五月の台詞です。五月はこの時、零奈が五姉妹の誰かだと風太郎に伝えたかったようです。
思った通りにいかない……
今回のやり取りは五月にとって狙い通りではなかったようです。それでは、狙っていた事態とはどんなものだったのか。
ほら、成績優秀なんだから考えてみてよ
こうした五月の風太郎への言葉や態度から察するに、風太郎が自発的に零奈が誰かを見破るというのが五月にとっての「思った通りの結果」だったと思われます。
しかし、楔は打ちました
この五月の独白からは、思った通りにはいかなかったものの、一応役に立つやり取りではあったと五月が思っていることが分かります。
京都での思い出は大切なはずじゃなかったのですか? あなたなら気づいてくれると信じてます
ここからは、風太郎が零奈が誰であるかをきっと気付くことができるはずだという五月の強い思いを読み取れます。清水寺に誘ったのは、風太郎の過去の記憶を呼び覚ますための呼び水にしたいのではないでしょうか。
ここで大事なのは、五月は「風太郎は零奈のことを写真の子と考えているはず」という前提で動いているという点です。
おそらくですが、五月は風太郎に「零奈の正体が私(五月)である」と気付いて欲しいわけではないのでしょう。風太郎には「零奈=写真の子の正体が誰であるか」に気付いて欲しいと思っているのだと考えられます。この二つは似ているようで、全然違う話です。
もし前者について気付いて欲しいなら、自分の口で真実を告げれば終わりです。実際、77話ではそうしようとした訳で、わざわざ楔を打ちこむだの、清水寺に誘うだの、行う必要は無いはずです。それではダメだと考えているからこそ、このような回りくどい根回しをしているのだと考えられます。
この点について、五月が自分の口で秘密を明かさないのは風太郎に自発的に気付いて欲しいといった乙女心によるものだから、という意見もあるかもしれません。しかし、だとすると77話における
こんなこと……なんて説明したら……
という五月のモノローグは多少違和感があります。五月はあくまで、どのように事態を説明するかについて悩んでいるだけのようです。風太郎に公園での零奈が五月だったと気付いて欲しい気持ちがあるなら、恋愛感情に絡む葛藤の様子がみられるべきだと思いますが、上の台詞からはそれが感じられません。
気にならないの?
私のこと、どうでも良くなったの?
風太郎に変装のことで鬱陶しがられた際に五月はこう言葉を発していますが、この発言は、五月自身の感情の発露ではないのでしょう。五月が写真の子の成長した姿として振る舞っている上で、出てきた発言だと考えられます。自分(五月)がしたことが原因で零奈=写真の子が風太郎から愛想をつかされるという事態は、五月にとっては最も心苦しい展開のはず。その焦りがこうした発言を生んだのではないでしょうか。
長々と整理してきましたが、これらの話から自身の考えをまとめますと、以下のようになります。
五月は自分が零奈であると明かすのを止め、零奈として振る舞うことで風太郎の興味を刺激し、誰が「零奈=写真の子」であるのかを風太郎自身に気付かせるサポートをするつもりなのではないでしょうか。これによって、誰が写真の子であるかに気付いた時点で零奈として振る舞っていたのは五月であると風太郎にバラそうと考えているのではないかと思いました。
そんな事をする理由は何か。五月の写真の子に対する罪滅ぼしではないでしょうか。自身が断ち切ってしまった風太郎と写真の子との間の絆を、何とか修復したいと考えたのではないかと思いました。
77話の時点では自身の正体を明かすことだけを考えていたのに、79話において風太郎と写真の子の仲を取り持とうとした理由については、いまいちしっくりきませんが
78話における修学旅行の班決めで、一花や二乃の風太郎に対する好意がどうやら本物らしいと五月も感じたことが影響しているのかもしれません。
風太郎や写真の子にしてみれば、正直大きなお世話という気もしますが、五月はかつての林間学校でも、一花と風太郎の関係性を確認するために立ち回った一件がありました。考えが先走って空回りしてしまう、五月らしい思考パターンともいえます。
ちなみに、五月が写真の子が誰か分かっているのかについては何とも言えません。風太郎にヒントらしいヒントを出さない辺り正体が分かってないのかもしれません。しかし、ヒントを出さずとも気付いてあげて欲しいという心理で敢えてノーヒントにしている可能性もあります。
なお、五月は風太郎から回収したツーショット写真を通じて、「写真の子」の姿を視認しています。五姉妹はそれぞれ見分けられるという前提があるため、誰だったのかそこで分かるようにも思えますが、小さい頃の写真であり皆同じような格好をしていた頃だったため、五月自身、見分けが付いていない可能性も十分にあります。
四葉は「写真の子」なのか
五月の話が長く続きましたが、四葉についても少し言及します。今回は「写真の子」に関する話題が、四葉がいる中で初めて交わされる事となりました。しかし、その反応からは四葉が「写真の子」かどうかはさっぱり分かりませんでした。
風太郎の発言に対するこのリアクションは
- 京都で会ったって私のこと? でも、私は零奈って名前じゃないし……。
- 零奈ってお母さんの名前? どういうこと?
と、どちらの考えで上のようなリアクションになったのか、全く見分けが付かないのです。
その後、零奈が風太郎の初恋の相手だとらいはがバラした後の反応も、風太郎の初恋の相手が自分だったと知って困惑しているとも取れますし、単にあまり色恋沙汰に触れていないが故の困惑とも取れます。結局、四葉の反応からは何も読み取れませんでした。
ところで、この後の風太郎と零奈(五月)との会話から、風太郎が零奈は五姉妹の誰かであると考えている事がはっきりしています。とすると、上の風太郎の四葉に対する断片的な情報の与え方や四葉の反応を伺う視線は、彼なりに正体を探ろうとしているように感じられますね。
まとめ
上での考察結果を整理すると、以下のようになります。
- 公園で五月が零奈として現れたのは、風太郎が他人の役に立とうと行動する「呪縛」となっている写真の子との関係を断ち切り、励ますため。
- 五月が零奈として正体を明かそうとしたのは、旅行先で三玖の恋心を知った事をきっかけに、勝手に風太郎と写真の子との間の絆を断ち切ってしまった事への罪悪感を覚えたため。
- ショッピングモールで五月が零奈として現れたのは、風太郎を零奈の姿を見せる事で刺激し、本当の写真の子が誰であるかを思い出させるため。
- 五月が清水寺に誘っているのも、風太郎の記憶を呼び覚ますため。
- 五月は風太郎には現時点で恋愛感情を抱いていない。風太郎と写真の子の絆を復旧して、仲を取り持とうと考えて行動している。
- なお、上記は五月がショッピングモールで現れた零奈および公園で現れた零奈であり、かつ写真の子とは別人という仮定を置いての推測である。
- 四葉が写真の子かどうかは全く分からない。そのようにも見えるし、そうでないようにも見える。
- 少なくとも風太郎は五姉妹の誰かが零奈であると気付いており、彼なりにその正体について探りを入れているようにみえる。
今回は五月が零奈として装っている場面があったことが確定し、そして風太郎に「零奈」の正体に気付いて欲しいと思っていることが分かる回でした。次回以降描かれるであろう京都での修学旅行編において、どのように物語が展開するのか、大変楽しみです。
以上、『五等分の花嫁』79話「シスターズ・ウォー二回戦」の感想・考察でした。
§ 本記事で掲載している画像は(C)春場ねぎ・講談社/『五等分の花嫁』より引用しています。