あるこじのよしなしごと

妻・息子2人(2014生:小麦アレ持ち/2019生)と四人で暮らしています。ボードゲーム、読んだ漫画・本、観た映画・テレビ、育児、その他日常等について綴っています。

漫画『五等分の花嫁』88話の感想・考察/母の死を経て五姉妹はそれぞれの道を歩き始める

ざっくり言うと

"写真の子"と風太郎が京都で過ごす様子、マルオが修学旅行先に現れた経緯、そして零奈の死の前後における四葉をはじめとする五姉妹の姿が描かれる。五姉妹は徐々に「個性」を獲得していき、それぞれの道を歩き始める。

こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。

漫画『五等分の花嫁』88話「私とある男子①」を読んでの感想・考察です。感想・考察の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。

なお、下記は前話(87話)を読んでの感想・考察記事となります。よろしければ、ご覧下さい。

出来事のおさらい・感想

88話で起きた出来事を簡潔に箇条書きすると、こんな感じでした。

  • "写真の子"と風太郎の京都での過ごし方が明らかになる
  • 修学旅行先である京都にマルオが来た経緯が明らかになる
  • 四葉が他の姉妹よりも優れた存在になろうという思いを抱き、その考えについて母の零奈が諭す
  • 零奈が死亡する
  • マルオが五姉妹を引き取ると言う

 

げに恐ろしいのは先入観。そもそも、マルオは零奈と結婚してはいなかったという事が明らかになりました(少なくとも、88話の情報だけを読み取ると、そのように感じられます)。

そして、零奈が急逝します。病気が治ったと聞いていた五姉妹からすれば、青天の霹靂でした。五人は、祖父が自分たちを引き取る可能性は現実的ではないと考え、別々に引き取られるのではと不安になりますが、結果的にマルオが彼女らの面倒をみる事となりました。

彼女らは中学校に進学したようですが、果たしてこの先どうなるのか……。

以下、今回特に気になった点を考察します。

考察

マルオは零奈と結婚していない?

マルオと五姉妹が会ったタイミング

感想でも書きましたが、何より驚いたのはこの点です。私はてっきり、修学旅行から戻る→零奈とマルオが結婚→零奈が(おそらく直後に)死亡、という流れを辿るものと思い込んでいました。

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しかし、実際には零奈の死が先にあって、五姉妹とマルオが正式な接点を持っているのはその後であるという時系列が、本話では提示されました。これはつまり、零奈は存命の間にマルオと結婚したわけではないということを意味するものと思われます。

もしかしたら、実は五姉妹は知らないだけで、零奈とマルオは既に入籍済みという話もあるのかもしれませんが……。

バイバイを言ったのは?

ところで、零奈が死んだ後の場面でマルオは

四葉君とは、修学旅行以来だね

と言っています。他の姉妹についてそうした声を掛けないという事は、修学旅行先でマルオが会ったのは四葉のみだったと言ってよいでしょう。

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となると、風太郎にバイバイと告げている少女の正体も四葉だったと考えてよさそうですね。

納得がいく点もある

もしマルオが零奈と結婚していないとすると、これはこれで納得がいった点もあります。それは五姉妹の名字についてです。五姉妹は今更言うまでもありませんが「中野」という名字を名乗っています。そして、この名字は零奈、つまり母方の名字と思われます。

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その根拠となるのは57話で五月がお墓参りをするシーンです。「中野家之墓」との表記が墓石から読み取れます。

もし零奈とマルオが結婚していたとしたら、何故名字が中野なのかというのは一つの疑問点でした。医師であるマルオの家の方が明らかに資産があるのに、わざわざマルオは「中野」家に婿入りしたのか? それは、普通なら考え難い選択ではないでしょうか。おそらく通常なら、零奈がマルオの家に嫁ぐはずです。

しかし、これについては、それでもマルオが婿入りしたのだろう……くらいに何となく考えていたのですが、もしマルオが零奈と結婚していないのだとしたら、五姉妹が中野姓を用いるのは当然のことです。この場合、マルオは五姉妹の未成年後見人の立場になっていると考えられます。

中野姓の疑問点

ただ、こう考えると、更に二つの疑問点が生じます。f:id:arukoji:20190605014250j:image

一つ目の疑問点は、明らかに五姉妹がマルオのことを「お父さん」と呼んでいる点です。

ただ、これは面倒をみてもらっているマルオを便宜上、父親と呼称しているだけであって、実際には後見人の立場であると解釈すれば、さほど気になる点ではありません。

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ちなみに、五姉妹以外にも結婚式場の方がマルオをお父様と呼んでいる場面があります(32話)。という事はやはり、マルオが戸籍上の父親? と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこの点でそう解釈するのは微妙だと思います。

というのは、結婚式場のスタッフは、厳密に戸籍上の関係を適用して相手の呼び方を決めているわけではないからです。風太郎と花嫁がマルオを父として扱うように伝えれば、スタッフは言われた通りに扱うでしょうから。

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さて、もう一つの疑問点は、マルオの名字が実は中野でないとすれば、上杉・中野・下田の三人が零奈の元教え子であり、それらが「上中下」と調和の取れた名字となっているというルールから外れる点です。

マルオが元々は零奈の教え子だったのでは、というのは本記事の冒頭からリンクを張った87話の考察でも書いている内容です。その考察内では、マルオ及びその他が教え子であるという事が上で挙げた三名の名字から示唆されているのではないかという説があることについて、言及しました。しかし、もしマルオの名字が中野でないのであれば、この調和は崩れることとなります。

ただ、この点も「必ずしもそうでなければならない」という事項ではないので、そのルールから外れることが何らかの矛盾を生む訳ではないと考えます。

あるいは、マルオの名字もたまたま同じ「中野」だとか、まだ正式には明かされていないがマルオの名字は「中野」ではないものの"中"の漢字を含む何かだとか、そういう可能性もありますね。

やはりマルオの名字が中野?

あと考えられる可能性は、零奈が入ったお墓がそもそもマルオの家の代々の物であるという線ですね。つまり、零奈および五姉妹は元々「中野」ではなく、零奈の死をきっかけに五姉妹がマルオの家に引き取られるタイミングで、中野姓となったという考え方です。

87〜88話について調べてみたところ、五姉妹の名字が「中野」であるという描写は一回も出てきませんでした。そのため、「元々の名字が中野」の根拠であるお墓の件について、想像(零奈は自分の家系のお墓に入ったはず)が事実と異なっているならば、上で挙げた説の通りという事も考えられます。

あとは、零奈がマルオの家のお墓に入ることの妥当性がどれほどかという話になってきますね。零奈の父親(五姉妹の祖父)はこの時点で存命なので、零奈のお骨をマルオの墓に入れる事を手放しで喜ぶとは考えにくいのですが……その辺を気にしないのであれば、この考え方が一番しっくり来る気もします。

(なお、もし87話より前に、五姉妹の名字がマルオに引き取られる前より「中野」である事が明確に描かれている場面があったら、すみません。もしそうしたシーンがあるなら、コメントでご指摘頂ければ幸いです)

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閑話休題。ともかく本話では、マルオが零奈とは結婚しておらず、五姉妹についてはあくまで未成年後見人の立場であるという可能性が出てきたと考えられそうです。

風太郎の優しさは昔から

四葉と風太郎が京都で過ごす様子も深堀りされました。印象的だったのは、交通費を使い果たしたという四葉に対して、風太郎が取った行動です。

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風太郎はうっかりお賽銭を入れてしまったから、自分もバスには乗れなくなったと言うのですが……これは嘘ですね。わざと自分も同じ立場になったと言って、四葉のそばにいてあげたんですね。

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これと同じような場面が6話にもありましたね。二乃がうっかり鍵を忘れてマンションの外に閉め出されてしまい、しかし他の姉妹とは仲違いしており気まずいため、自分から素直に帰るとは言い出せなかった場面です。この際に風太郎は、

どうしても解けない問題があってな。解いてから帰らないとスッキリしないんだ。

と言って、まだ友好関係を築けていなかったにも関わらず、二乃を独りにしないように立ち振る舞っていました。

彼の優しさは、小学生の頃から既に備わっていたんですね。

風太郎と"写真の子"の誓い

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風太郎は"写真の子"である四葉と、それぞれの家の貧乏トークで盛り上がります。そして、勉強をしてお金を稼げるようになり、家族を貧困から救うということを互いに誓うのでした。

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ところで、五月が"零奈"(偽写真の子)として公園に現れた際、風太郎は

俺はまだお前には会えない

と言っていましたね。

これは、まだ実家の借金は返済できておらず、らいはに不自由ない暮らしをさせてやれていないという負い目から出た発言だったのかもしれません。風太郎はまだ就学中の身なのですから、こればかりはどうしようも無いだろうと思いますが……。

旅館にて

二乃との会話

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四葉は無事帰り着いた旅館で、二乃と会話します。この場面で、マルオが来た理由が明かされていましたね。二乃曰く

学校から連絡もらったお母さんが相談したみたい

だから京都までマルオは来た、ということのようです。『ワールドトリガー』風に言うなら、まさに面倒見の鬼ですね。なかなか出来ることではありません。

しかし、小学六年生が修学旅行先で少しはぐれたからと言って、即座に親まで連絡がいくものなのか? という点は正直、疑問符が付きます。ただ、そう本人らが言っているのなら作中ではそうなのだろうと納得しました。

ところで、二乃はここで

ああ、もうめんどくさいし! 風君(ふうくん)でいっか!

と発言しています。

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これは、最近の二乃の風太郎の呼び方であるところの「フー君」と、いみじくも読みが完全に一致してますね。ひょっとしたら、ここから二乃がかつて風太郎と会っていたことを思い出す、なんて展開があるのでしょうか?

一花と四葉の確執に関する伏線の回収(?)

そして、一花について。読者からは散々言われていた、以下の場面に関する伏線。

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仲良くしたいって言った子も、次の日には一花とお喋りしてたっけ

この点が回収されたとみてよいのでしょうか。要するに、この「仲良くしたいって言った子」というのが風太郎だった、という説ですね。

ただ、細かい事を言うと、一花が風太郎と話す事になるタイミングは、四葉が一花に風太郎の事を話した"次の日"であるはず。

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しかし、この話の流れを見る限りでは、四葉が一花に風太郎の事を話した"当日(の夜)"中に二人は出会っていることになります。ここに、四葉の言葉との微妙な食い違いが存在します。

この点は本ブログではだいぶ細かく考えてきていたのですが……解釈としては、以下の二つが考えられます。

  1. これはそもそも上の伏線の回収ではないという見方。
  2. これは伏線の回収であり、四葉が話した「次の日」という指定が誤っている(たとえば、四葉が勘違いしていたとか)という見方。

どっちでしょうね。個人的には、もうこれは2でいいのかなと思っていますが。

四葉の気持ちと母・零奈の気持ち

四葉は風太郎との誓いもあって勉強を頑張り、とうとう姉妹の中で一番となったようでした。

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しかし、自分以外の姉妹に対して「勝った」「もう皆と同じ場所にいない」と表現する四葉を見つめる母・零奈の視線は冷ややかです。

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零奈は頑張って他の姉妹よりも成績を伸ばした四葉ではなく、四葉という他の姉妹を真似て髪飾りを付けて喜ぶ五月を褒めました。その後、四葉の努力も間違いではないと伝える零奈ですが……四葉は悲しそうな表情で、零奈が諭す言葉を聞いています。

四葉と零奈、どちらも間違っていない筈なのに、どこかで気持ちのすれ違いが生じてしまった気がします。このときに四葉は「他の子を出し抜いてはいけない」という考えを持つようになったのでしょうか……。

なお、この場面(零奈と共に祖父のいる旅館に向かう船の上)で四葉は初めてウサちゃんリボンを付けたようですね。87話の考察では、リボンを付ける→祖父に会う→皆一緒でなければならないと四葉が考える→修学旅行を迎える、という順番の方が可能性が高いと書いていました。しかし実際には、修学旅行先で自身のアイデンティティについて思案する→リボンを付ける→祖父に会う、という流れが正しかったようですね。

祖父に会う方が先と考えた根拠は「京都にマルオが来る理由は零奈の病の悪化が原因で、修学旅行後には零奈が祖父の所に向かう機会が無いから」というものでした。

しかし、上でも言及している通り、マルオが来たのは四葉がはぐれたことによるものでした。そのため、零奈は修学旅行が終わった後の時点でもまだ体力が残されており、命ある内に祖父の家に向かう機会が得られたのですね。

零奈の死

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分かっていた事ではありますが、零奈が死亡します。零奈の病気が治ったと姉妹は聞いていましたが、やはり病気は治ってなかったようですね。

五姉妹は悲しみにくれることになりますが、中でもショックが大きいのは五月でした。 五月が母親の口調を模倣している点は前話の感想でも書いていましたが、その模倣はどうやって始まったのかは分かりませんでした。ある日急にだったのか、それとも徐々にだったのか。

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実際には、零奈が亡くなってすぐの日からだったのですね。修学旅行前に母から離れなかった様子や、船の上での母への接し方などからして、おそらくは一番母親に甘えていたのが五月だったでしょう。そんな彼女が急に丁寧語で話し始める姿は、他の姉妹に大きなインパクトを与えたに違いありません。

なお、五月のことを心配そうに見つめているのは、一花ですね。

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この時点から彼女は、長女らしく振舞わなければならないと考え始めるのです。

そもそも「私とある男子①」というサブタイトルの意味は?

最後の項は、この話のサブタイトルについて。これは一体、どういう意味が秘められているのか。

この話の中では四葉と風太郎が京都で過ごす場面が描かれている事もあり、また前話の「私と姉妹①」における私も、イコール四葉なのですから、素直に考えれば、私=四葉、ある男子=風太郎と解釈するのが妥当でしょう。

ただ、もしかしたら、私=零奈、ある男子=マルオという意味かもしれないとも思いました。そう考えた理由は二つあります。

一つ目は、結局のところ、零奈とマルオの関係性が明確に分かっていないからです。今後、四葉視点から少しずつ事情が分かってくるのかもしれませんが、更に話の時間軸を少し前に戻して、零奈とマルオがどんなやり取りをしていたのかが直接語られるという可能性もありえます。この場合、主な話の視点は零奈となり、それ故に私=零奈となるという考え方です。

二つ目は、「男子」という言葉のチョイスが先生と生徒のような関係を想起させるからです。いや、別に風太郎もまごう事なき「男子」なんですけどね……でも、何故だか違和感を少し覚えました。

私=先生=零奈と男子=生徒=マルオ、という関係を表したものかなというインスピレーションがぱっと湧いたのが、こうした事を思いついたきっかけになります。その後、普通に四葉と風太郎の事なのか? と思い直しはしたのですが。個人的にちょっと引っ掛かりを覚える部分でした。

次の「私とある男子②」(エピソードとしては多分、次の次にあたる90話?)でどんな内容が描かれるかによって、この点の解釈は決着するでしょうね。楽しみです。

【追記】マルオは本当に入籍していないのか?

朝時点で挙げた記事の中では、マルオは五姉妹とほぼ初対面である事から、零奈と入籍していないのではないかという話をぶち上げました。

しかし、少し冷静になって考えてみると、さすがに入籍していないって話は無いかなと思い直し始めました。この辺について、考えを整理してみました。

入籍してないのではと考えた理由

マルオとの再婚は今後の五姉妹の生活にも関係してくる話なので、零奈が五姉妹に伝えないのは不自然だと思ったからです。

自身が余命幾ばくもない中、この事実を五姉妹に伝える事を先送りする理由が思いつきませんでした。

事実、五姉妹はマルオの事を知らなかったので、五人バラバラに引き取られるのではないかと不安がっていました。もし入籍していたなら、真っ先に伝えておくべきだったと思います。

余命のことを勘付かれたくないという思いもあったのかもしれませんが、マルオとの入籍を伝えるだけなら、自分の病状について言及する必要も無いのですから。

あるいは、マルオも零奈も、病気は本当に治るのだという読みがあった可能性はあるかもしれませんね。この場合、零奈がしっかり治ってから伝えればよいと考える気持ちは理解できます。

やっぱり既に入籍しているのかと考えた理由

零奈はマルオを紹介するつもりだった

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零奈は、マルオについて五姉妹に

いずれ紹介しますが

と言っていました。しかし、担当医と自分の関係だけであれば、別に五姉妹に紹介する必要は無いでしょう。

紹介するつもりがあったということは、入籍前提の発言とも解釈できます。


五月が「再婚」という言葉を使っている

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もっと単純な話がこれです。41話で身の上話をする五月は、

今の父と再婚するまでの私たちは

という発言をしています。これが嘘や勘違い、また事情を単純化して伝えるための言い換えでない限り、やはりマルオと零奈は式を挙げていないだけで入籍まではしているという事になります。

 

どうだろう、やっぱり入籍済みなのかなという気持ちになってきました。そして、既に入籍済だったのだとすれば、零奈のお骨が結婚後のマルオの家のお墓にあるというのも理解できるかなと思いました。

【追記】マルオと五姉妹の関係について

次回以降の話では、零奈を喪くした五姉妹がその後、どう過ごしてきたのかが描かれることと思います。

ここでキーになると考えられるのが、五姉妹とマルオとの関係性についてです。

マルオは過去編で、はぐれた四葉のために京都まで出向いたり、身寄りの無い五人の子供の生活の面倒を見たり、その振る舞いは聖人のようです。

しかし、現在のマルオと五姉妹の関係性はどうにも良好とは言い難いです。そうした状況になったのは、これから描かれるであろう、中学〜転校までに起きる出来事に端を発するものと考えられますが、それらのエピソードを読む前に、各姉妹のマルオに対する姿勢をここで整理してみました。

一花の場合

一花はマルオに対して、あまり良い感情を持っていないようです。

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直接的にそれが表れている場面は見つからなかったのですが、間接的にその感情が出ているのが30話のこの場面です。

五月が風太郎について見定めようとする中で、一花は

フータロー君はお父さんとは違うよ

という言い方をしています。これはマルオに対しては良い感情を持っていないことの表れとみてよいでしょう。ただ、その具体的な中身まで伺い知ることはできません。

二乃の場合

二乃は五姉妹の中で最もマルオに対する敵愾心が強いです。

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まず、転校してきて最初の試験後、マルオと電話で話したとき。

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そして54話において、より万全を期すために家庭教師を一人追加しようという案をマルオが持ち出してきたとき。

これらの場面で、二乃はマルオのやり方を嫌っている事がとてもよく分かります。

また、二乃の場合はその憤りの中身が他の姉妹に比べて具体的です。マルオの数値に基づく判断、そして、相手の感情を考慮せずに正論を持ち出す姿勢を嫌悪しているようですね。

三玖の場合

三玖は、これといってマルオに向けた感情が見当たりませんでした(見落としてたらすみません)。

元々、あまり外に興味や感情を向けるタイプではないので、さもありなんという感じです。

四葉の場合

四葉もこれといって、マルオ自身を忌避するような場面は無いように思えます。

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マルオにはっきりと対決姿勢を見せたのは、54話におけるこの場面くらいでしょうか。

しかし、これはマルオ自身に対する反発というよりは、前(つまり、黒薔薇女子在校時)は上手くいかなかったが今度こそ良い成績を取るという決意表明に近いと思われます。

四葉は元より内罰的な思考の持ち主であることが様々な形で明らかになっています。そうした要素もあって、マルオに対するマイナス感情は発露しにくいものと思われます。

五月の場合

五月はどちらかというと、マルオに敵対するというよりも、むしろ彼に懐柔されやすい印象です。

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何と言っても、食べ物で釣られやすいですからね……という冗談(?)はさておき。

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マルオと五月が少なくとも表面上の関係が穏やかであるのは、マルオが五姉妹の様子を聞く時には五月に接触するケースが多いこと、また風太郎への連絡も五月を介する事が多かったことからも読み取れます。マルオも五月の事を、素直で物分かりが良いと評しています。

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これは五月自身、他の姉妹に比べて真面目な性格の持ち主なのが影響しているのでしょうね。風太郎に対しては同学年という事もあって、教師と生徒という関係でも素直に応じはしませんでしたが、中間試験におけるドッペルゲンガー作戦において五月は、先生を騙した事に罪悪感を抱いていました。社会通念上、目上として扱うべき相手に五月は弱いです。

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期末試験前、五月はマルオに対して反抗的な姿勢を見せますが、マルオの反応からして五月の反抗的な態度はこの時が初めてだったように感じられます。

五月がこれまでマルオに対して面従腹背だった可能性はありますが、マルオに向けた強い忌避感情は五月にはみられないと私は感じました。

なお、一花についての考察時に挙げた画像からは、五月もマルオに対して良くない印象を抱いているようにも見えますが……ここはちょっと解釈が微妙なところかなと感じました。

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五月が風太郎を見定めなければならないと思った事について、一花は風太郎とマルオを同一視しているのだと捉えているようですが、五月はマルオと風太郎の比較といった問題ではなく、純粋に母・零奈の教えを忠実に守っているだけと私は読み取りました。よって、マルオについても信用できないと五月が考えているのかどうかは、この場面からは判断がつきません。

五月ちゃんはまだ追っているんだね

という一花の台詞は、五月が零奈の教えに頑なに従っている事を指しているんですね。五月の零奈に対する思いの強さが理解できた今では、それがよく分かります。

総括

五姉妹の態度を整理すると、特に強くマルオに反発しているのは二乃であることが分かります。そして、彼女がマルオを嫌うようになったキッカケには、正論または定量的な判断によって、二乃が望まない何らかの結果が生まれた(または生まれそうになった)のだと推察できます。

そして、二乃が望まない結果となると、おそらくは姉妹の絆を壊すような行為と考えられます。

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ここで絡んでくると思われるのは、やはり黒薔薇女子在校時における落第騒動でしょう。四葉だけが落第して転校する事になったが、他の姉妹は付いてきたという話でしたが、マルオはこの判断に反対だったのではないでしょうか。

つまり、四葉だけが他の高校に行き、落第を免れた残りの四人は黒薔薇女子に引き続き残るべきだという意見をマルオが述べたのだと考えられます。

はっきり言って、マルオのこの意見はまさしく(二乃が嫌う)正論でしょう。現実にこうした事態になった場合、多くの保護者がそういった意見を述べる筈です。

しかし、この出来事があったために、二乃はマルオに強く反発しており、他の姉妹も一部否定的なのではないでしょうか。他方、四葉はといえば、自身の成績の悪さが根本原因だと考えているため、マルオに対しての悪感情はあまり持っていないのだと考えられます。

 

いずれにせよ、黒薔薇女子からの転校の顛末は、きっと今後描かれることでしょう。その場面で、上記のような各姉妹とマルオの対立する様子が表現されるのか? それとも、もっと別の何かで姉妹とマルオは対立したのか? ここは個人的に、とても興味のあるポイントです。

まとめ

本エピソードで印象に残ったのは、やはり零奈の死ですね。悲しい場面ですが、いつかは描かれなければならなかったシーンでもあります。ただ、悲しいながらも、比較的あっさりとした語り口で描かれていたのは、個人的には救いでした。

零奈は余命がどのくらいか分かっていたのでしょうか? 87話の感想でも言及したのですが、もう死ぬ事は分かっている中で、五姉妹を遺していかなければならないという状況に置かれた零奈の辛さは、想像もつきません。

もし自分だったら。妻や息子を遺して死ぬ事が分かっていたら。とんでもない無力感と絶望感に打ちのめされる姿しか、想像できませんね。

なお、『象の背中』という数分程度のショートアニメがあるのですが、零奈の状況からは、このアニメの内容を少し思い出しました。

有名な作品だと思いますが、もし観た事が無い方は、一度ご覧になってみては如何でしょうか。

 

五姉妹は母の死を経て、様々な変化を遂げながら、それぞれの道を歩き始めます。果たして中学生の頃の五姉妹はどんな風に過ごしていたのか? 興味が湧く内容です。次話の配信も大変楽しみですね。

以上、『五等分の花嫁』88話「私とある男子①」の感想・考察でした。


§ 本記事で掲載している画像は(C)春場ねぎ・講談社/『五等分の花嫁』より引用しています。


 

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