お客様は今の日常を捨てて別の人生を生きたいと考える中年のサラリーマン。作中で唯一、喪黒さんから制裁される事なく日常へと戻れたことから、この話をハッピーエンドと表現する人もいるが……。
こんにちは、あるこじ(@arukoji_tb)です。
漫画『笑ゥせぇるすまん』第42話の感想です。
感想の性質上、展開やオチなどに多々言及することになるため、ネタバレ多数になります。ご注意下さい。
他方、あらすじの紹介が主眼ではないので、話の枝葉末節は記載しないつもりです。そのため、本記事を読むだけでは物語の内容は分からない可能性があることも、ご了承下さい。
第42話「夜行列車」
お客様について
中年サラリーマンの別野仁生です。名前の由来は、彼が希求する「別の人生」と掛かっています。
別野は会社帰り、駅のホームで喪黒さんに声を掛けられ、自身が普段乗らない電車で、今の自分と全く関わりのない場所で新たな人生を過ごしてみたいと思っている気持ちを見透かされます。
この気持ちは大なり小なり、かなりの人が共感できそうなテーマではないでしょうか? 別の場所で人生をリセットしたいとまで思うかはともかくとして、通学や通勤時に、今から普段は全く乗ることのない電車に乗って遠くに行ってみたらどうなるだろう? という気持ちを抱くことは、割と普遍的なものだと思います。
別野は喪黒さんに言われた通り、帰宅すべきところで普段乗らない夜行列車に飛び乗ります。そして、ふと耳に入った「風泊」という駅名に何かを感じ、そこで降りる事を決めるのでした。
風泊での生活
風泊で降りた別野はあるきっかけから、『とまり』という居酒屋の二階に居候する事になります。
笑ゥせぇるすまんに登場するお客様は大なり小なり、傍若無人な振る舞いが目につく事が多いのですが、その中では別野はかなり紳士的・常識的な振る舞いをするのが特徴的です。
居酒屋の二階に居候するというのはおかみさんが善意で泊めてくれるのですが、この時も本当なら別野は何処か旅館を探して泊まるつもりでした。そこをおかみさんの方から、助け船を出してくれたのですね。
おかみさんが用意してくれた朝ご飯に思わず涙を零す別野の姿からは、普段、家族からあまり大事に扱われていないのではないかということを読み手は想起させられます。
余談ですが、上のコマで出てくる
「ンマーイ!」
という言葉は藤子A作品では度々登場する、美味しい物を食べた時の表現ですね。この表現はしばしば、他の漫画作品でもオマージュとして取り上げられます。私が最近読んだ漫画作品の中では『彼方のアストラ』や『まかない君』などに登場していました。
ところで、この「風泊」および居酒屋『とまり』は後に他のエピソードでも登場するのですが、その際、おかみさんの真意は不明ながら、同じように泊めた青年に対して居候から追い出すようにおかみさんは行動を起こしているのです。
しかし、この話ではおかみさんはそうしたアクションを起こしそうにはありませんでした。この点からは、別野の場合は本気でずっと居候していてもよい(一緒に暮らしてもよい)相手だとおかみさんは思っていたとも考えられると私は思います。
だとすると、やはり滞在中の別野の振る舞いはおかみさんにとって好感の持てるものだったのではないかと思うのです。
ちなみに、この架空の町「風泊」ですが、同名の駅は存在しないものの「泊」という駅が藤子先生の故郷である富山県にある点は印象的です。Wikipediaによれば、駅の開業は1910年らしいので、藤子先生がこの作品を描いた際にこの駅は既に存在していました。この「泊」こそが「風泊」のモデルなのかもしれませんね。
さて、風泊に長逗留する別野ですが、やがて変化の時が訪れます。喪黒さんが別野の前に再び現れるのです。
喪黒さんは別野に、一度自宅に電話を掛けるべきと伝え、別野はその指示に従うことになります。そしてその結果、別野は家族の窮地を知る事となるのです。
風泊で過ごした時間を愛おしいものと考えつつも、そこに無理やり居座ることは考えず、別野は最後まで常識的な振る舞いを取り、風泊から離れます。
喪黒さんがその様子をホームから見届ける場面で、この物語は幕を閉じます。
本当にハッピーエンドなのか?
この話は『笑ゥせぇるすまん』において、お客様が破滅を迎えないため、「数少ないハッピーエンドのお話」としてよく語られるのですね。
しかし、本当にこの話はハッピーエンドなのでしょうか?
以下、この点について考察していきます。
喪黒さんがお客様の特性を見誤るとは考えにくい
まず、他のストーリーで喪黒さんは各お客様の欲望からその行動まで、見事に計算……というか、おそらくは人知を超えた力で完全に把握しています。
その喪黒さんが別野に限ってはその気質を見誤り、結果的に獲物として堕とすことをしなかったというのはどうにも引っかかります。
喪黒さんは別野が電話をかけて自宅に帰る展開を読んでいたはずであり、だとすると、それが本当に善意による行為だったのかは微妙な気がしてきます。これらも全て計算尽くだったのだろうと考えると、喪黒さんがそもそも善行を行う存在とは思えないため、そこに強い違和感を覚えてしまうのです。
別野は喪黒さんと何らかの契約めいたものを交わしてはいない
「別野は喪黒さんの忠告に従ったから助かった」という論調を目にしたのですが、別野は他のお客様と異なり、これといった契約は喪黒さんと交わしていないのも気になる点です。
つまり、別野は喪黒さんとの間に確かにルール違反を犯してはいないものの、そもそもこの話ではルールらしいルールが無かったので、守るも守らないも無いんですよね。
また、更に言えば喪黒さんの漫画原作版における申し出は、電話をしたら風泊で過ごす権利を失うが、それでも電話をかけるか? というような選択を迫った訳ではなく、風泊でこれからも過ごしたいなら電話を入れておくべきというあくまでも風泊に過ごす事を前提とした誘いでした。
この喪黒さんの申し出に別野が乗るのはある種、道徳的でも何でもなく、むしろ普通の人なら十中八九電話を掛けると考えられる選択肢ではないでしょうか?
破滅させなかった事こそが破滅だったのでは?
別野は妻の危機を知り、自宅に戻ります。結果的に妻が助かったのか、そうでないのかは分かりません。
しかし、おそらく今後、別野さんが自宅に戻った行動が称賛され、これまで冷や飯を食わされていた(であろう)立場が改善されるといった未来は無いでしょう。
結果的にはこれまでと同じく、いや、むしろ無断で失踪した事を家族や会社からは糾弾され、これまで以上にその立場は弱いものになると考えられます。
そうした未来が予想できる中で、それでも戻らなければならないと考えた別野さんの人格は素晴らしいと思います。しかし、彼は今後一生、風泊に残っていたら自分の人生はどうだっただろうか? というifの人生への未練を残す事になるでしょう。
これは私からみれば、緩やかで根の深い破滅に他ならないです。
確かに欲望を解放した結果、喪黒さんによって酷い目に遭わされたり、最悪死に至らしめられたりする人は多数いるため、それらに比べれば別野の受けた被害がマシだったのは確かです。
ただ、喪黒さんによって欲望を解放された結果、周囲からみれば不幸かもしれないけれど、本人にとってはそれが救済となったのでは無いかと思わされる話もあるんですよね。
その最たる例は第9話「たのもしい顔」でしょうか。
この話のお客様は確かに社会的に一つの破滅を迎えるものの、本人にとってはある種の救済だったともみてとれます。
そうした点からみても、私はこの第42話を素直にハッピーエンドだった(喪黒さんの気まぐれや別野の常識性から致命的な被害を回避できた)と解釈することはできませんでした。
喪黒さんの行為によって別野がいよいよ進退窮まる状況に追い込まれたとするなら、やはりこれは常識人である別野の気質を熟知した喪黒さんが彼を蝕んだエピソードであると私は思ったのですが……皆さんはどう思われるでしょうか?
アニメ版をハッピーエンドと解釈するのは理解できる
なお、ここまで述べてきたのはあくまで漫画原作版に限った評価である点は補足しておきます。
アニメ版での別野(注:正しくはアニメ版では小宮)、おかみさん、そして喪黒さんの行動は漫画原作のそれと比べてかなり情緒的です。これは実際に見比べてみると、その違いがよく分かります。
特に喪黒さんは、別野が急ぎ自宅に向かおうとする中で電車が走っていないのをみて、ドーン!によって電車を呼び寄せるという荒業で別野をサポートしているのですね。
もし喪黒さんが完全な悪意の存在であるのだとしたら、別野の帰宅までを助ける義理はありません。とすると、この喪黒さんの行為はやはり善意によるものに他ならないと解釈できます。
また、更に付け加えると、アニメ版ではこの話のラストシーンで普段の喪黒さんらしからぬ弱音めいた発言もしていますし、更にそもそもアニメ版の喪黒さんは他にも気まぐれに善意から動いているようなエピソードがあるんですよね。
よって、漫画版の喪黒さんが善意から別野を家に帰したとは私は純粋には受け止められませんでしたが、アニメ版の喪黒さんは漫画版と異なる動機で動いている可能性があり、それ故にハッピーエンド(ビターエンド?)に仕立てられていると解釈できると思いました。
以上、『笑ゥせぇるすまん』第42話の感想でした。
§ 本記事で掲載している画像は藤子不二雄A『笑ゥせぇるすまん』より引用しています。